異言について、結構長いシリーズの検証になっていますが、前回からの続きです。Iコリント14:6〜13 から検討します。
集会で外国語を話す時の条件(暗に、異言も含む)
6ですから、兄弟たちよ。たとえ私があなたがたのところへ行って色々な外国語を話すとしても、啓示や知識や預言や教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の役に立つことでしょう。 7笛や弦楽器などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。 8また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。 9それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。 10世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。11それで、もし私がその音声の意味(力)を知らないなら、私はそれを話す人にとって外国人であり、それを話す人も私にとって外国人となるのです。Iコリント14:6〜11 私訳
6節は、「たとえ〜としても」と言う条件接続詞ギリシャ語のエアンἐάνが使われています。パウロとしてはそうしないけれども、「種々の外国語で話すならば」これから述べようとしている条件が必要だと言っていますので、まとめてみましょう。
1、「啓示や知識や預言や教えによって話す」必要
つまり、グローッサは単なる「言語」ですから、言語を通して伝えるメッセージが大事です。単なる音やわけのわからぬ喃語や祝詞では意味がないのです。「啓示や知識や預言や教え」が言葉に含まれていなければ無意味なのです。
2、「舌で明瞭なことばを語る」必要。
笛や弦楽器が何を奏でているか、戦闘ラッパが何を伝えようとしているのかわかるように、音の輪郭を明確にしなければ、全く意味がないと例えています。つまり、モゴモゴと話していたり、わけのわからぬことをいくら繰り返したとしても、「言っていることが分からない、伝わらない」と言っています。
同時に、そのような「怪しい奇妙な異言」を話している者たちへの警告でもあります。「不明瞭な話し方」は、人に伝わらないので「空気に向かって話している」のと同じことだと言っています。つまり意味がないと言うことです。「空の空、一切は空の空」なのです。
3、「意味のある言葉を話す」必要
世界には、たくさんの言語がありますが、意味のない言葉は何一つないのですから、意味のない言葉を、話すことはおかしいと、「怪しい奇妙な異言」を話している者への警告が続きます。
4、「話された言葉の意味を知る」必要
つまり、意味がわからないなら、通訳が必要だと言うことです。外国語と外国人は対応しています。話している音声の意味がわからないなら、お互いが、外国人同士になってしまうのです。
「外国人」のギリシャ語の バルバロス βάρβαροςとは、「聞きづらい言葉を話す者」または「醜い言語を話す者」という意味です。ギリシア人からすると異民族の言葉は「バルバルバル」と聞こえたからということが由来のようです。
意味のわからない異言で祈ったり話している者たちは、まさに、「バルバルバルバル」と「聞きづらい、醜い言語を話す者たちだ。」と、パウロは暗に言っているのです。ギリシャ人であるコリントの人たちは、自分たちは、ヘレネス(ヘレーンの子ら)と誇りを持っているはずなのに、お互いがバルバロス状態になっているとパウロは警告しています。
5、「外国語に通訳、異言に解き明かし」が必須
あなたがたの場合も同様です。あなたがたは霊のものを熱心に求めているのですから、群れ(エクレーシア)を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。 13こういうわけですから、(奇妙な)異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。 Iコリント14:12〜13 私訳
その異言が聖霊によるものであれば、それを解き明かせるように聖霊に求めるべきであり、解き明かせないなら、黙っていなさいということです。しかし、その解き明かしは、聖書全体が言っていることと少しも違わないはずです。
ニセの解き明かしに注意!
預言者といえども、もし、聖書と異なる新たな事を言い出すとしたら、私たちは警戒しなければなりません。パウロは、聖書が完成する前、すなわち、預言はすたれる前に天に召されました。しかし、すでに聖書が完成した現在では、神が預言者を通して新たなメッセージを語る方法は、終わっているのです。
聖書にない新たな事を神の名を使って宣言する人たちがいるならば、偽預言者です。
恍惚状態で神がかって何かをバルバルバルバルと話し出し、その解き明かしとして、聖書と異なる事を伝えたなら、それは聖霊からのものではありません。
私たちは体験を重視する傾向があります。自分の体験を聖書によって裏付けるのではなく、聖書を土台として、判断することが大切です。経験や体験を重視する人たちは、自分の感覚に頼り、聖書読むことが減ってきます。感覚や高揚した感情を求めるようになるからです。
自分の口から出てくるニセ異言
異言が聖霊によるものではないと理解できた人たちは、イエス・キリストの名において封じ、二度と口にしないようにしています。聖書がそのような異言を裏付けていないからです。これから、ますます、世の中は混沌としてきています。闇が色濃く、霊的な世界をまどわしていきます。
すでに、偽キリスト(隣のオーストラリアでも)、ニセ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議な事をして見せます。すでに似たようなことは始まっていますが、今後ますます激しくなるでしょう。 (マタイ24:24)
選民とはユダヤ人だけではありません。サタンや悪霊どものターゲットはクリスチャンたちである事を忘れないでください。私たちの霊に触れることはできませんが、私たちを惑わそうとするのです。メシアニックジューの人たちもニセの異言に惑わされている人たちが出ていると昨日伺いました。
今日もウェブチャへようこそ!
私たちは聖書の預言、神のことばが何よりも確実なものであると、目を留めていきましょう。しるしや不思議や異言でも予言でもなく、体験でもなく、聖書の言葉を土台としていきましょう。
今日も良い1日をお過ごしください。宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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