ご質問がありましたので、久しぶりに啓示録にもどってきました。
「こんにちは、1点、意味が今一つ理解出来ない箇所があります。
”私はあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。私はむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、私の口からあなたを吐き出そう”黙示録3:15,16
とありますが、キリストの救いを知る者としての生き方を言っているのでしょうか?そうであれば、熱いというのは、なんとなく分かりますが、冷たくありなさいという事は、救いを知っていて、人には無関心(冷たく)という事なのでしょうか?ぬるい状態とは、この世の煩わしさ、忙しさで、所謂サンデークリスチャン状態という事なのでしょうか?」
と言うことで、ご質問を一緒に考えてながら聖書を読み返してみましょう。
また、ラオディケウス(ラオデキヤ)にある教会(エクレーシア)の監督に書きなさい。「信頼できる絶対に確かで確実な方、忠実で真実な証人、神の創造物の根源である方がこれらのことを言われる。16「わたしは、あなたの数々の行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。17このように、あなたはなまぬるく、冷たくも熱くもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」啓示録3:15〜17(私訳)
啓示録の7つの教会の7番目ラオデキヤの教会は、とりわけ問題なし
最後を締めくくりの教会で、7の数字にふさわしく「完全」だったでしょうか?
なんと褒められる言葉が何1つもないばかりか、いきなり叱責されているようです。
とはいえ、ラオデキヤの教会に行ってみるとしたら、結構居心地がいい。ホスピタリティが素晴らしい。そんな感じがしますが、どうでしょう?
参加している人に「何か問題はありますか?」と伺ってみても、逆に「何が問題ですか?」という答えがかえってきます。教会のメンバーも口々に「問題などないわね!」そう言っていて、なごやかに歓談しています。参加者も増えているそうです。
ラオデキヤは非常に経済的に繁栄した都市でした。少なくとも25の町を含む商業都市として繁栄し、新約聖書の時代では、小アジア地方で最も裕福な都市でだったそうです。
ですから、結構リッチな人たちが、立派な服装でハイソな交流を楽しんでいます。迫害されていたわけでもなく、それほどの試練もなく、緊急を要する祈りの課題もなく、「とりわけこれといった問題は、ないですよ。」と、監督もおだやかに笑って答えてくれます。そんな感じがする教会です。
「それでも問題はないわけではないでしょう?」と伺うと、「あえていうなら、水の問題ですね。」と、
ラオデキヤの北およそ15kmの町ヒエラポリス・パムッカレPamukkaleには、天然の熱い温泉がありました。そこの熱い湯は、健康と滋養に良いとの評判です。そこでラオデキヤ市の経済力を使って、ヒエラポリスの熱い温泉をひくことにしたのです。天然の温泉の湯がラオデキヤにも届くなら、治療目的でさらに人々が集まり経済効果間違いなしと、期待していました。
しかし、15kmもの距離を移動してきた熱いはずの温泉水は、ラオデキヤに到着する時には、すっかり「なまぬるい湯」となっていたのです。
もう一つの、水の問題は、飲み水です。ラオデキヤの都市の飲み水は、地理学者ストラボーによると、ヒエラポリスの水よりも沈殿物が多くて苦くて飲めないそうです。そこで、16km東のコロサイの山からの冷たい真水を、飲み水としてひくことにしたのです。飲料水は生活のために欠かせませんから、最優先しました。その結果、配水管を通して、山からの落差を利用して良質の飲料水が届くことになったのです。ところが16kmもの配水管を通るうちに、飲み水も「なまぬるく」なっていたのです。
ラオデキヤの住民は、熱い温泉のお湯と冷たい飲み水を期待していましたが、どちらも届く時には、「なまぬるく」なっていたのです。それがラオデキヤ市民のもっぱらの不満です。飲料水にするのには、冷たさもなく、むしろ、「はき出したいほどのなまぬるさ」だったのです。
他の町から来た人たちは、慣れていないので、ラオデキヤの水を飲もうとするなら「オェッ、なまぬる〜い!」と吐き出していました。
まさに、ラオデキヤの教会の霊的状態を象徴する「なまぬるさ」
期待される「熱い 」は、どのぐらいの熱さだったでしょうか?
ギリシャ語の ゼストスζεστόςは、「沸騰するような熱さ」で、名詞形はここの15、16節だけでつかわれています。「沸騰する」の動詞ゼオーζέωの名詞形です。ゼオーは「霊に燃える」(ローマ12:11)(使徒18:25)と2箇所だけで、霊的な良い意味で使われています。
「冷たい」は、プシュクォロスψυχρός 「冷たい」「冷たい一杯の水」(マタイ10:42)でこちらも良い意味です。「冷淡な、無関心な、熱意がない」などという意味ではないのです。
この言葉は霊的は情熱とか信仰の温度差を問題にしているのではなくまた、冷たい状態が良くないとも言っていません。
吐き出したいほどの「なまぬるさ」だった!
ラオデキヤ教会の霊的な現状、心の状態は、入浴したくないほど熱さがない湯のようで、なまぬるくかったのです。また、飲み水として期待される冷たさもなく「吐きだいたいほどのなまぬるさ」だったのです。
「はき出す」エメオーἐμέωは新約聖書のこの16節だけ使われている単語です。(ギリシャ人はエメオーと吐き出し、日本人はオエーッですかね。)
私の状態は、大丈夫でしょうか?
なまぬるく吐き出したい状態とは、何が問題はなんだったのでしょうか?
なまぬるい湯で、一度入ると出るに出られない。ある人には結構居心地が良いなんてことかもしれません。「あまり難しいことを騒ぎ立てるな!」「じっとつかっていれば、結構いいんじゃないかい!」
「信頼できる絶対に確かで確実な方、忠実で真実な証人、神の創造物の根源である方」とは、イエス・キリストです。
人々は現状に満足していたのです。しかし、イエス・キリストは、満足してはおられないのです。
なまぬるい教会のメンバーの心の状態を、「吐き出したいほどのなまぬるさ」だと証言しているのです。
それは忠実で真実な証言人としての叱責です。そして、あなたにも忠実で真実であることを願っています。
数々の行いや奉仕をして、神のために頑張っていると思っていますか?
それは大切です。だれもが忙しく動き回っています。次から次へと計画されるイベントや教会行事に関われば関わるほど忙しく、あっという間に1年が過ぎていきます。規模が大きくなればなっただけ、色々な調整や企画のための会議が増え、家庭生活が脅かされてきます。
「あなたの行いや奉仕は、わかっているよ。」と前置きした上で、「もっと大事な欠かせない問題点に気づきなさい。」と、指摘してくださっているのです。それは、行いではなく、心の状態、霊的状態です。それは、水問題のように行いや奉仕以上に大切なものだと、指摘しているのです。
行いや奉仕に明け暮れて、それゆえに、忘れていることがありませんか?
祈ってはいても、形だけ、形式的、習慣的、祈祷文を読んでいるだけ、暗記したものを繰り返しているだけ、自分の意識や前頭葉が働かないまま、自己満足の祈りで終わっていないですか?聖書を読むまもない忙しさで神学を学んでいる? 神の学問? 人の書いた分厚い本を読み取るだけで精一杯!? 神様との関係はどうですか? なまぬるくなっていないですか?
イエス・キリストとダイレクトにつながっていたら、いのちを体験するでしょう。イエス・キリストに聞き、聖霊の解き明かしをいただく時に、霊は、心は私たちの内側で燃えるのです!
イエス・キリストこそ、ヘブライ語 アーメーンאמן からのギリシャ語の音訳アーメーンἀμήν 「信頼できる、絶対に確かで確実な」方です。
どんな問題があっても、私たちはイエス・キリストに信頼します。この世界では「信頼できる絶対確かで確実な」ものなど存在しません。人も、組織も、会社も、国家も、どんな権威者も、宗教家も宗教も、信頼を裏切ることがあるからです。
イエス・キリストだけが、あなたの今の状態を嫌悪し、強く叱責したとしても、イエスがあなたを愛していることに変わりはありません。あなたがもし、正しくない状態にあるなら、変わることを期待し望んでおられるから、叱責なさるのです。
聖書を読み、みことばが心にささる時、聖書を読みたくないと閉じたくなる時、聖書からの叱責こそが、あなたが愛されている証拠です。
即、悔い改めて、熱くなることを選んでください!
「信頼できる絶対に確かで確実な方、忠実で真実な証人、神の創造の根源である方」に信頼して、
今日も良い1日をお過ごしください。
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
コメント