異言で祈りが信仰が向上するという嘘
「聖霊のバプテスマを受けて、異言で何時間でも祈ってられるようになりました!」とか、長く祈れるという時間を誇っても意味がないのです。祈りは時間の長さを競うものではありません。それは、自己満足とクリスチャンから時間を奪うだけの悪霊の策略です。
「あなたはまだ異言で祈れないの?」と異言の祈り自慢や、「私は異言が使える」という特権意識が高慢につながり、サタンと同じの罪に引きずり込まれます。それは全く聖霊のご性質に反するものです。「奇妙な異言の祈りで信仰が成長する」など聖書のどこのも書かれていません。使徒たちも、パウロも、イエス・キリストも勧めていません。
公の場での異言の祈りの禁止
祈り会や礼拝の公の中で、「奇妙な異言」で祈りだし、場をわきまえず、意味のわからない音を出している人がいるなら、問題です。心合わせて祈り、礼拝する場で、一致を乱し混乱させる働きも、聖霊によるものではありません。
意味不明の奇妙な異言の意味を通訳する人が誰もいなければ、黙るべきであり、「個人で神に(パウロの皮肉です)祈り(Iコリント14:2)」=「空気に祈っているだけ」(9)にとどめるべきです。
解き明かす者がいなければ公の場では祈らず、黙るべき(27〜28)というのが、神の秩序です。それにもかかわらず、場をわきまえず、見せつけるように祈ったり、「私の意思に反して、つい口をついて出てしまう」からという言い訳は、成り立ちません。聖霊の実は自制であり、コントロールできるものです。
奇妙な異言の祈りは禁じられている
理性の伴わない祈り(14〜15)、くどくどと同じ言葉、同じ音の繰り返し、無秩序でデタラメな異言を聖書は勧めていません。むしろ、禁じているのです。
聖書のどこにも「異言で祈れ」という命令も、勧めも、根拠もありませんので、「異言の祈り」を求める必要はありません。与えられなくて当然と考えて良い 、と思います。
祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。マタイ6:7〜8
「同じ言葉を、ただ繰り返す」とは、バットロゲオーβαττολογέω 「無駄な言葉を繰り返し使う、空っぽな言葉をしゃべる、退屈な言葉の繰り返しをする 」という意味です。バットスΒάττος 「 言葉の詐欺師 」です。
イエス・キリストが無意味な祈りを禁じているのです。聖書を書かせた聖霊が禁じていることを、求める必要などないです。もし求めて与えられたとしたら、それはいったい何の霊でしょうか?聖書と照らし合わせて、 その霊をみわける必要があります。
偽りの異言をし続ける結果
あえて理性や知性を働かせない異言の祈りは、ますます思考力を失わせます。結果的に理性を失い、肉の本能のまま行動するようになり、肉の欲にまみれ、悪を犯すことに歯止めがつかなくなります。
調査によると異言で祈る人は、前頭葉(考える脳の部分)が全く動いていないことがわかったそうです。つまり言語中枢の脳の普通に話す時や祈る時に動いているのはずの、理性が全く働いていないことがわかったというとことです。
それはすでにパウロが「異言の祈り」を揶揄して言った通りだということを、現代医学は裏付けています。
もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。Iコリント14:14〜15
パウロは、「奇妙な異言」で祈ると言っているのではなく、祈らないと言っているのです。なぜなら、「もし」「奇妙な異言」で祈るとしたら、知性は実を結ばないからです。「ではどうすれば良いか?」
「奇妙な異言」で祈るのではなく、霊で祈るだけでなく自分の知性を働かせて、意識を持って、考えて祈るのが良いと言っているのです。
ロボトミーLobotomy を作りだす奇妙な異言の祈り
ロボトミーとはポルトガルの医師、アントニオ・エガス・モニスがいろんな精神疾患の治療に、極めて有効な外科手術(大脳の前頭葉白質を切断破壊し、前頭葉と他の脳部との繊維連絡を遮断する手術)を開発し、ノーベル医学賞を受賞しました。そして世界中、とくにアメリカの神経科学者、外科医、精神科医がそれを取り入れるようになりました。
しかし手術は、患者に取り返しのつかないダメージを与える、非人間的と非難されて現在では行われていないはずです。この手術によって重いうつ病や統合失調症や不安症や強迫症などから解放されます。しかし、無気力,受動的,意欲の欠如,集中力低下,全般的な感情反応の低下などの症状も多く現れました。理性を働かせて考えることも悩むこともできない廃人を生み出す恐ろしい手術でした。
今日ドラッグで同じことができるので1950年代半ばから投薬治療になりましたが、薬もドラッグも副作用のあるものであることには、変わりがないのです。
同じことが「奇妙な異言の祈り」で意識的に前頭葉の麻痺を起こさせ、それを継続させることで、悩まなくなり、悲しみも感じなくなり、解放されたかのように錯覚します。しかし、現実逃避であって、何も問題は解決していません。自分の気分は良いでしょうが、ドラッグで麻痺しラリっているのと同じ症状を起こしているだけです。
俗悪なむだ話という異言
テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。そして、俗悪なむだ話、また、まちがって「霊知」と呼ばれる反対論を避けなさい。これを公然と主張したある人たちは、信仰からはずれてしまいました。Iテモテ6:20〜21
俗悪なむだ話を避けなさい。人々はそれによってますます不敬虔に深入りし、彼らの話は癌のように広がるのです。ヒメナオとピレトはその仲間です。IIテモテ2:16〜17
ケノフォーニア κενοφωνία 「虚しい音、実のない話、空虚な言葉、無駄口」はケノス「からの、空虚な、見せかけだけの」+フォーノー「音声を発する、叫ぶ、大声を出す」の合成されたことばです。
「俗悪なむだ話が禁じられているの?」「冗談も言えないの?」「たわいもない話も言い合えないのか?」などと心配しないでください。「虚しい音、空虚なことば」とは「奇妙な異言」を指しているのです。「エクスタシー異言」「未知の異言」はまちがって「霊知」と呼ばれているグノーシス主義の考えや神秘主義と結びつき、癌ののように広がっていったのです。
そして、現代では、ニューエイジの影響で、未知の力を求めたり、スピリチュアルな関心から、「奇妙な異言」を求める人たちが増えているのです。結果は、信仰からはずれることになり、ますます不敬虔に深入りし、神様との真の信頼関係では無い、感覚や感情を追い求める結果となりますので、要注意です。
異言まとめ
聖書的な異言は、外国人に福音を伝えるためのその国の言語だけです。伝道のために外国語を学ぶことや、覚え使うことや、通訳の技術を習得することは奨励されています。
聖霊の働きではないとするなら、「異言の祈り」はどこからきているのでしょうか?自己満足を求めた「エクスタシー異言」や「未知の異言」という「奇妙な異言」が、あなたの理性と関係なく口から出てくるなら悪霊の可能性が大です。あなたが求めるなら悪霊は、あなたの「舌」を支配しコントロールしてきます。イエス・キリストの御名によって祈り、悪霊との関係を絶つ必要があります。
「天使の異言」(これも皮肉です)など与えられる必要も、使う必要もないのです。イエス様も天使も、私たちの言葉で話しかけて下さるからです。また、世界中の言語を理解出来ます。あえて「天使の言語」を求める必要などないのです。フリや真似しているだけの嘘の異言は、もうやめましょう。そのような欺きをする必要など全くないのですから。
『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』ルカ10:27
きょうもウェブチャへようこそ!
あなたが苦しみや悲しみや辛さを感じていることは、とっても大事なことです。その辛い感情を理解し寄り添って下さる聖霊なる神様が、あなたの心の中に住まわれていることを感謝し、意識しましょう。
心の困難さを感じなくなることが救いではなく、その苦しみや悲しみの中で、イエス・キリストがともに苦しみ、あなたを慰められ愛されいることを認め受け入れるのです。
思い煩いの一切を祈り委ねていくことが、信頼であり御霊に満たされいることなのです。そうすることで、以前にも増してイエス・キリストを深く体験し、信頼関係が深められ、前に進めることになるでしょう。
ニセモノの異言や悪霊の惑わしの奇妙な異言に頼る必要など少しもないのです。理性を働かせて、知性を尽くして神様を愛していきましょう。
悩み考え何でも神様にお話しし、願い事を知っていただきましょう。
良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
コメント
最近、異言という言葉を耳にする事があり、ネット上には異言を素晴らしいものとしたコメントや、異言が使える人は多くいるような記事を目にして、自分は果たして異言を使えるようになるのだろうか?と思っているところでこちらの記事に辿り着きました。
どうやら私は大きな勘違いをしていたようです。聖書の教えに忠実である中では、異言は不要ですね。ありがとうございました。
最近、異言という言葉を耳にする事があり、ネット上には異言を素晴らしいものとしたコメントや、異言が使える人は多くいるような記事を目にして、自分は果たして異言を使えるようになるのだろうか?と思っているところでこちらの記事に辿り着きました。
どうやら私は大きな勘違いをしていたようです。聖書の教えに忠実である中では、異言は不要ですね。ありがとうございました。
1つ聖書箇所の訂正です。>マタイ7:7〜8 はマタイ6:7~8 だと思います。
(コメントの公開は結構ですので、この個所だけチェックして頂ければ幸いです)