しかし、信頼による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。 また、「だれが地の奥底(アブッソス)に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者たちの中から引き上げることです。ローマ10:6〜7この箇所は、だれが救われるか救われないかという人のことを述べているのではありません。前後関係からもわかるように、人のことではなく、キリストについて書いているのです。キリストに信頼することで与えられる義がこの節の中心です。
「信頼による義」とはイエス・キリストが全てを成し遂げてくださったことに基づく義です。自分の行いによる、あるいは、努力による義ではありません。律法を守ることで与えられる義でもありません。私たちはイエス・キリストが成してくださったことをただ、ありがたく受け取り、イエス・キリストに信頼するだけで救われるのです。
では、キリストは何をしてくださったのでしょうか?
キリストが律法の終わり(ゴール)であり、信頼する人はみな義と認められるのです。 ローマ10:4その根拠はなんでしょうか?
1. キリストが律法の終わり(ゴール)です。
テロスτέλος(名詞)は「ゴール」「終わり」「目標」「目的」と言った意味があります。動物犠牲は、限界がありました。雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。ヘブル10:4ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。イエス・キリスト自らがご自身の体を、いけにえとしてささげられることで、罪の完全な赦しが完成したのです。
ヘブル10:5
2. キリストはその体を持って、父の御心を完全に満足させる人生を送られました。
「おお、神よ。わたしはあなたのみこころを行うために来ました。」と言われたのです。ヘブル10:9アダム以来人類が失敗してきた、神と共に歩み神の心の中心を生きることを、イエス・キリストはその体を持って生きてくださったのです。イエス・キリストそのものが律法となり、その体と心と思いにおいて律法を守っただけでなく、生きてくださったのです。ここでは「もはや私たちがやるべきことは何も残っていません。律法を守り満たしてくださった唯一の方がイエス・キリストです。
「信頼による義」は、「だれが天にのぼるだろうか」と言いません。なぜなら、すでにイエス・キリストが天にのぼってくださったからと知っているからです。キリスト以外の他の人は、もはや必要ありません。また、「だれがアブッソスに下るだろうか。」とも言いません。すでにイエス・キリストがハデスにまでくだらされ、ハデスからよみがえらされたと知っているからです。そして、そのキリストを父なる神が、義と認めてくださっているからです。
そのキリストの義に信頼することが「信頼による義」です。そして、私たちが宣べ伝えている「信頼の言葉」なのです。
すなわち、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者たちの中からよみがえらせてくださったと信頼するなら、あなたは救われるからです。ローマ10:9「死者たち」とは、墓場ではありません。「死者たち」のいるところとは、ハデスのことです。十字架のイエス・キリストを通して、私たちはイエスの流された血潮によって罪を赦されました。そして、ハデスに下らされたイエス・キリストが義と認められたことを通して、イエス・キリストに信頼する私たちは、キリストの義とされたのです。罪がないだけでなく、イエスの生涯が非の打ち所のないものであり、しかも父なる神を喜ばせる人生を送ってくださったからです。
そして、40日間弟子たちや一般民衆に、イエスは、ハデスからよみがえらされた御自身の体をもって現すことで、救いの完成を伝えられました。「十字架とハデスからの復活」が私たちの信頼の土台であり、告白することばの中核です。そして、初代教会(エクレーシア)から始まった使徒たちの伝道のメッセージの中心でした。
40日後イエス・キリストは天にのぼられ、父なる神の右に座しておられるのです。ハデスに降り天にのぼられた方は、人類の歴史を通じてイエス・キリストの他にいません。
人は心で信頼して義と認められ、口で告白して救われるのです。 聖書はこう言っています。「イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」 ローマ10:10〜11今日もウェブチャへようこそ!
私たちは、ホッとした人生を送っています。肩に力を入れて生きる必要はありません。義務もノルマもありません。イエス・キリストが全てをなしてくださいましたから、私たちは全てを成し遂げられたイエス・キリストに信頼するだけで良いのです。そして、イエスに信頼するものは、失望させられることがありません。その体験をしていきましょう。イエスは、今も生きておられ信頼を裏切らないのですから。
イエス・キリストに信頼して良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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