イエス・キリストに会えたら
直接いろいろな話を聞くことができたら、数々の疑問をお尋ねして回答をいただくことができますし、何よりも色々な試練の中で、助けをいただくことができるのにと思います。
しかし、イエス・キリストが生きていた時と変わらない助けがあるのです。それ以上かもしれません。私の肩を持って味方してくださる力強い方が、私の側にいつもともにいてくださるのです。
もう一人の助け主
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。ヨハネ14:16〜17a
「もう一人の助け主」の「もう一人の」はギリシャ語でアッロスἄλλοςです。それは、3つ以上の数的違いを表す言葉です。そして、「個々の区別はあるものの、同種、同質」を表しています。ギリシャ語には「もう一人の」へテロスという「質的相違、種類の違い」を表す単語がありますが、アッロスが使われたことで、三位一体の神について大事なポイントを教えてくれます。
「もう1人の助け主」は、父なる神また、イエス・キリストとは別の方ですが、同種つまり神であり、同質すなわち、神と同じご性質を持っておられる方です。「もう1人の助け主」は、「真理の御霊」であり、父なる神と、イエス・キリストと、別の方としての区別がある神格を持たれていますが、一体であるのです。
聖霊は、非人格の力でも、風でもありません。聖霊は神です。パラクレートス
「助け主」と訳されたギリシャ語はパラクレートスπαράκλητοςです。Paracleteと大文字で固有名詞のように訳されています。
パラ「一緒に、そばに」とクレートス「召された者」が合わさってできた言葉です。その意味は、単なる「助け」だけではありません。たくさんの意味が含まれているのです。
「援助のためにそばに呼ばれた者」「支持するため、弁護するために側にいる方」「肩を持って、味方になってとりなして下さる方」「弁護士、弁解者、擁護者、代弁者」です。
世界一の最強の弁護士チーム
私たちが不完全で、失敗ばかり、罪は犯す、神を悲しませたり情けない状態です。その上、サタンは、私たちを告発し、容赦なく、的確に攻撃しています。どうしようもない罪人だとなじられて当然なのです。しかし、黒を白だと弁護し、絶えず私たちを訴え続けるサタンの口を封じて下さる弁護士団が、私たちの最強の味方なのです。
パラクレートスなる方は、聖霊だけではありません。イエス・キリストも私たちのために父なる神様の前で、弁護して下さる最強の弁護士パラクレートスなのです。
私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さなくなるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方(パラクレートス)がいます。義なるイエス・キリストです。Iヨハネ2:1
「罪を犯さないようになるため」ではなく、「罪を犯さないため」にヨハネは手紙を書きました。私たちは罪を犯さないようには、なれないのです。天に召されるか、イエス・キリストの再臨を迎えるまでは、罪を犯さないようにはなれないのです。私たちは弱いのです。罪を犯さないぞと思い、決心を固くしたつもりでも、次の瞬間には、神を悲しませていることすらあるのです。それでも心配はいらないのです。
もし、罪を犯すことがあれば
私たちには、世界一の、霊的世界における最高の弁護士が、父なる神の右において弁護して下さるのです。最高の弁護士は、イエス・キリストです。
また「もう一人の」最高の有能な弁護士が、聖霊です。聖霊は、私たちの側にいて弁護して下さるのです。私たちを絶えず告発するサタンは、イエス・キリストにも、もう1人の弁護士の聖霊にも、全然太刀打ちできません。私たちは安心して、大胆に父なる神の御座に近ずくことができるのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。ヘブル4:16
イエス・キリストの時代に生きている以上の幸せ、永遠に
イエス・キリストは、神ですが、人として来られた時には、時間と空間に限定され、生活された場所は、限られた地域でした。イスラエルにいれば、日本には居られなかったのです。
しかし、聖霊なる神は、「いつまでもあなたがたと、ともにいて下さる。」と約束してくださいました。「いつまでも」アイオーンαἰών とは、「永遠に」ということです。
旧約の時代には、聖霊なる神は、限定された人だけに来てくださっていたのです。王、祭司、預言者の中の選ばれた人でした。しかも、その選ばれた人でありながら、その人の人生の中で、永遠どころか生涯の一時的な期間でした。
絶対にあり得ない祝福
今私たちが体験しているのは、驚くべき、絶対ありえない祝福です。私たちは、王でも祭司でも預言者でもない、しかも異邦人であり、その上でどうしようもない罪人であったのです。罪人であった私たちは、イエスの身代わりの十字架の死で赦されただけでなく、聖霊なる神が、私たちの内に住んでくださっているのです。
そして、私から一生離れることなく、しかも、「いつまでも、永遠に」ともに居いて下さるのです。これ以上の祝福があるでしょうか!
しかも、聖霊なる神がおられるところには、イエス・キリストもともにいて下さるのです!
見よ、私が、時代の終結、完了まで、全ての日々で永遠にあなたがたとともにいます。アーメン マタイ28:20b
今日もウェブチャへようこそ!
聖霊なる神が、私たちの内に住んでいてくださることは、どんなことにも比較できない祝福です。そして、三位一体の神が私たちと永遠に共にいてくださる保証なのです。(エペソ1:20)
最高の弁護士団を味方とした人生を送りませんか?
あなたの人生が、最高に祝福の満ちたものとなりますように祈ります!
良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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