「まことに、あなたがたにもう一度告げます。
もし、あなたがたのうちふたりが、
どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、
わたしは彼らの真ん中にいるからです。」 マタイ18:19-20
とても大切なことを、イエス様は弟子たちに以前にも伝えていたのですね。
「まことに」と「もう一度」で、とっても大事なことだよと思い返させています。
それは、「ひとりの祈りよりも二人の祈りが聞かれますか︎」
ということでは、ないでしょう。
「人数が多ければ多いほど、祈りは聞かれ、かなえられますか︎」
ということでも、ないでしょう。
なぜなら、
聖書はたくさんの個人の祈りの例が記録されています。
詩編の祈りはほとんど一人です。
イエス様も一人で祈られていました。
ゲッセマネの園では、三人の弟子たちを招待しましたが、
彼らは寝てしまいました。
一人でも、イエス様の御名によって祈るなら、聞かれているのです。
「あなたがたが、私の名によって何かをわたしに求めるなら、
わたしがそれをしましょう。」 ヨハネ14章13節
集団で直訴するようなことは、祈りではないのです。
願い事を叶えるだけにフォーカスしないことです。
神の意思を変えようとするような激しい祈りは、どうなのでしょう?
御心に沿った祈りは、聞かれているのですから。
二人三人の祈りは交わりです。
二人三人というエクレーシアの交わりの幸いをつたえています。
「互いに愛し合う」関係を持てるエクレーシアを
イエス様は勧めているのです。
そして、祈り合えるまで、信頼した交わりの幸いを伝えています。
祈り以上に大事なことを、思い返させているのです。
「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、
かえって励まし合い、
かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」ヘブル10:25
この勧めを、教会堂や集会所に出席することに限定していないですか?
教会に行っていないとか?教会に行かなければ…
とだけ、限定して受け取っていませんか?
教会や集会に行けなくても、イエス様の御名の元に
主に召し出された者たちと集まるのです。
そうです。「集まること」が勧められているのです。
日曜日に仕事をしなければならない人たちがたくさんいます。
その人たちのおかげで、社会は動いているのです。
日曜日に教会に出席できない人を責めるのではなく
「ありがとうございます!」と心から感謝を伝えなければいけませんね。
私たちは集まります。
聖書が開かれ、み言葉を学びあい、祈り合い、
交わりしているところ、どこででも、
そして、日曜日だけでなく、いつでも、集まることをやめないように!
日曜日に集まれない職種の人は、
平日で誰かと交わろうと積極的に求めましょう。
牧師がいないと教会ではないのですか?
聖書のどこにそう書いてありますか?
牧師という言葉も聖書にないですよ。(訳し間違えはありますが(エペソ4:11))
「イエス様がそこいるかどうか」が大事なのです。
イエス様を締め出しているのなら、
どんなに宗教っぽい集まりであっても、それは、ただのサークルです。
熱狂的な賛美も、
熱く語る説教も、
イエス様を締め出しているなら、詐欺です。
イエス様の名前さえ頻繁に使っていても、
イエス様の名を利用しての悪霊の追い出し、数々の奇蹟、預言などの、だましが増えています。
イエス様と関係のない偽預言者、偽説教者、偽牧師に惑わされないように!
「その日には、大勢の者がわたしに言うでしょう
『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、
あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって、
奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
しかし、その時、わたし(イエス・キリスト)は彼らにこう宣言します。
『わたしはあなたがたを全然知らない。
不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」 マタイ7:22、23
全然ですよ。
「全然知らない」と言われる人たちですよ。
心配しないでください。あなたのことではないです。
偽預言者、偽説教者、偽牧師のことです。
「イエス様を知らない、イエス様も知らない」
偽者がイエス様を知っているかのように振る舞い、
信者たちをミスリードし、食い物にしていますよ。
単なるパフォーマンスです。
参加する者は、教会のエンターテイメントに熱狂的になり
感情を高揚されることが、御霊に満たされることかのように錯覚し、
みごとに悪霊にだまされているのです。
「日曜日に教会にいけなかった」と言う考えを捨てましょう。
りっぱな会堂はなくても、
整った演奏はなくても、
イエス様を中心に、集まるエクレーシアを始められます。
不定期に、いつでも、どこでも、エクレーシアを
二人から始めてみましょう。
喜びを持って集まる、
自発的な集まりを、始めてみませんか︎?
お互いの顔が見え、
心が触れ合える集まりを始めてみませんか?
「互いに愛し合いなさい」を実践できるエクレーシアを始めてみませんか?
「互いに励まし合える」関係は、多人数ではないと思います。
その時、天よりの、なんとも言えない、
祝福を、喜びを、静かな平安が心に広がるのを体験しますよ。
心許せるイエス様とつながっている人たちと集まりましょう。
夫婦で、恋人同士で、仲の良い友達と、親子で…
学校の中で、会社の中で、病院で、施設で、カフェで、海辺で、
自宅で、友人宅で、…
その祈りは、天とつながっています。
その交わりを喜ばれているイエス様が、
真ん中にいてくださるからです。
「わたしは、彼らの真ん中にいるからです。」
と、イエス様の臨在が、祈りよりも強調されているのです。
「ここにイエス様がいる」
日曜日に教会にいけないからと自分を責めないで。
他の曜日で、臨在を意識した集まりを始めてください。
今日もウエブチャへようこそ! 病院や施設にいて、あるいは、体の問題などで、教会に行けない方を応援します。
あなたのために開かれているウエブチャです。
大きな祝福が、あなたにありますように祈ります!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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