聖霊が与えた「外国語」は一時的だった
ペンテコステの日に、ガリラヤ人の弟子たちがいきなり外国語を話せたのはこの時だけでした。つまり、恒久なものではなく、一時的な通訳の賜物だったようです。なぜなら、しばらくして、ユダヤ人のクリスチャンたちの集まりに、異なる言語のクリスチャンたちが加わることで問題が発生したからです。それは、ギリシャ語を話すユダヤ人のグループでした。言葉の違いからのミスコミュニケーションが起こっていたのです。
言葉の壁を越えるためには、学習と努力必要
この通訳の賜物が、もし維持できていたとしたら、起こらなかった問題です。今日も、言語を超えて交流するためには、お互いに努力をし、言語を学ぶところから始めなければなりません。バベルの塔以来の乱れた言葉の壁を、お互いの言語や文化を学び尊重する努力から、真の交流は始まります。海外へ宣教する者たちは、海外宣教を始める前には、必ずその国のことばを習得することが前提条件です。「聖霊が、伝道に必要なその国の言語を話せるようにしてくださるから」と、信じていたカリスマ派の宣教師においても例外ではありませんでした。
1906年カリスマ派の18人の宣教師がアジアの中国、インド、日本に派遣されました。ところが大失敗に終わったのです。現地で通じる言葉が出てこなかったからです。現地に行きさえすれば、聖霊がいきなり外国語を与えてくださる信じていても、そうならなかったからです。
神は、そのようには約束されていないからです。それ以来、必ず、現地のことばを語学学校等で習得する期間を持ちます。どの宣教団体も同じです。
聖霊が、下り異言でなく「外国語」を話した 事例 2
ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。 彼らが外国語を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。 「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」使徒 10:44~47「異言」ではありません。「異国語」、彼らにとっての「外国語」です。
この背景は、「ご承知のように、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないこと」(使徒10:28)とペテロが話しているように、ユダヤ人は、異邦人と絶対に交流していませんでした。
しかし、神は、その律法や、狭い人間の枠をペテロに超えさせました。ペテロが異邦人の家に行き、伝道するようにさせ、「なんと異邦人も救われる!」という驚くべきことが起こったのでした。
それまでは、救われた者たちというのはユダヤ人だけでした。異邦人はいなかったのです。異邦人も救われるという神のあわれみの救いの事実を知らせる必要がありました。
「だれでも」とは、異邦人も含まれる
ペテロについて行った、コルネリオの家にいた割礼を受けているユダヤ人たちも、はっきりと理解する必要があったのです。「イエスに信頼する者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる。」(使徒10:43)とペテロは確信し、証言しました。「だれでも」とは、ユダヤ人の「だれでも」ではなく、異邦人を含める全人類であると、ペテロは起こった事実を説明していたのです。疑っているユダヤ人の弟子たちに対して、明確なヘブライ語を異邦人がいきなり話しはじめたことで、見えない霊の世界における救いが実際に起こったと、理解できるようになったのです。
そのわかるしるしとして、かつて自分たちもペンテコステの日に体験した、ヘブライ語を話すユダヤ人たちが外国語の言葉を話せたことように、外国語をいきなり話す現象を目の当たりしたのです。今度は、異邦人がヘブライ語を話し、ヘブライ語で神を賛美するのを聞いたのです。
エクスタシー異言ではなく完璧なヘブライ語だった
ペテロが説明している最中に、聖霊が注がれて、異邦人たちが、ヘブライ語で神様を賛美し出したのを聞いて、ユダヤ人たちは、腰を抜かすほど驚いたことでしょう。ユダヤ人クリスチャンたちが、半信半疑でペテロの説明を聞いている最中に、この奇蹟が起こり異邦人の救いの事実を確認したのでした。もし、救われたという異邦人が、恍惚状態(エクスタシー)でわけのわからないことを叫び出したらどうだったでしょうか?「こいつらはやっぱりおかしい、救われているわけはない!」とユダヤ人のクリスチャンたちは思ったはずです。
彼らの言葉で賛美したとしても、通じない言語では、意味が分かりません。神様への賛美であるかどうかも、わからないのです。
完璧なヘブライ語の賛美だった
ペテロについて行ったユダヤ人たちは、「これこそ、聖霊の働きだ。自分たちと同じことが起こった。」とペンテコステの日のことを思い出したのです。そして、異邦人が「神を賛美している!」とユダヤ人全員が理解し、驚かされました。なぜなら、完璧なヘブライ語の賛美だったからです。誰も疑いませんでした。そればかりか「異邦人にも聖霊が注がれた!」という事実を確認して驚いたのです。「異邦人も救われる」というペテロの説明を、聖霊が裏付けてくださったのです。
割礼を受けているユダヤ人クリスチャンたちが、無割礼の異邦人たちが救われたということも、驚くべきことでしたが、その上、異邦人にも聖霊が注がれるという予想もしない、ありえない出来事を目撃したのです。
「イエスに信頼する者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」そして、「異邦人にも聖霊が注がれた!」という2つのとっても大事な真理を理解したのがこの時でした。
今日もウェブチャへようこそ
あなたにも、聖霊が与えられます。まだでしたら、イエスが私の罪を赦し、裁きから救い出す救い主だと信頼してください。心で信頼して、あなたの口で神に祈るなら、聖霊はあなたの心に来てくださいます。
体験してください!感じなくても、すでに実現しているという神の約束に信頼するのです。徐々に、実感としてもわかってきますので、焦る必要はありません。
エクスタシー異言を離せなくてもいいのです。最高の賜は、聖霊ご自身ですから!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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