携挙で変えられるのは?
この朽ちていく体が、不死を着る。
卑しい体が栄光の体に変えられ、
弱い体が強い体になると言っているのです。
さらに、血肉の現在の体が、霊に属する体に変えられると言っているのです。(Iコリント15:42〜44)
全て体のことです。
では、心はどうなのでしょうか?
心は未来に変えていただくので、どちらでもいいのでしょうか?
未来を待つのではなく、今からです。
変えられていくことを今から求めていくのです。
今の生き方は、未来につながっているとイエスは約束されました。
「柔和な者(プラウスπραΰς)は幸いです。地とは千年王国での、土地の相続について約束をしているのです。
その人は、地を受け継ぐからです。」 マタイ5:5
この世の生活は、必ずしも祝福で終わるとは限らなのです。
苦しんだまま終わる人がいます。
貧しいまま、亡くなられる方がいます。
病が癒されないまま、闘病生活のまま、苦しみの果てに、亡くなられる方がいます。
この地上の生活ははっきり言って
不公平です。
この地上の生活で、帳尻が合わないことばかりです。
良いことをしたら、幸福がくるのではないのです。
「引き寄せの法則」も役に立ちませんよ。
念じるからそうなるのでもないのです。
善を行なって、正しいことをしていても、不幸で終わる場合があります。
因果応報も当たることもあれば、当たらないことがあるのです。
家族の中に各種の障害を抱えた方を、支えながら、苦労しておられる方がいます。
あるいは、身内の介護をしながら、自分の方が先に亡くなる場合だってあるのです。
「地を受け継ぐ」それは、未来形であり、千年王国で実現することです。
生まれつき、「柔和な者」はいないのです。
聖書の中では、イエス様だけです。
イエスのご人格に似せられていくことは、今、生きている間に、求めることです。
たとえ、死ぬまで の間に、
「不当に抑圧された状況でもバランスを崩さず、ブレずとどまり、
当然の権利を主張ぜず、弁解しない毅然とした態度」
がたとえ身に付かなくても
それを求め続けているのかどうか?も含めて
評され、報い(プライズ)をいただけるのです。
人々から、しかとされ拒絶されたまま一生が終わるとしたら、
どうしますか?
その中でも、バランスを崩さず、ブレずにいられるでしょうか?
当然の権利を主張しないでいられるでしょうか?
弁解しないで、毅然としていられるでしょうか?
そに加えて、とんでもないことが起こるのです。
公衆の前で鞭打たれ、はずかしめられ、唾をはきかけられ、
ののしられ、あざけられ、
最後は裸にされてはずかしめられて、十字架につるされ、
見せしめとなって苦しんだあげくに死ぬのです。
濡れ衣の末、殺されてしまい
何にも感謝されない。
これが、イエス・キリストの人生でしたね!
その人生を、甘んじて受けるのが、柔和な者(プラウスπραΰς)なのです。
柔和さ(プラオスπρᾷος )を身に付けるように勧められている。
いや、命じられていますね。柔和さだけではないです。
わたしたちには、たくさんの欠けがあるのです。
それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、「身につけなさい」「熱心に求めよ」と勧められ、
あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 コロサイ3:12
しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、
愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。 Iテモテ6:11
命令されているこれらの人格的資質は、
千年王国の住人の特徴であり、永住権と地の相続権とにつながるからです。
今の人生の中で、不当な扱いの中で、じっと耐えることで鍛えられるのです。
弁解できるのに、弁解しないで、神の正しい裁きに任せ切ることで、地を相続するのです。
現実の人間関係の中で、苦労している1つ1つが、
未来につながるのです。
身についているかどうかを、直ぐに試してくれる存在がありますね。
子供が、孫がイライラさせてくれます。
妻が、夫が、
介護している者が、
私の忍耐力を、愛を試してくれます。
その問題1つ1つを神に祈り、知恵をいただき、乗り越えていくことで、鍛えられます。
その問題を解決できるようにと祈っても、祈っても、未解決のまま、苦しむ日々の中に
あなたが練られ、あなたでないとできないことが
千年王国で任せられるのです。
自分が一番コンロトールできない自分の心を征服していくことが、
地を相続し、町を治めることにつながります。
自分を治めることができない者に、町を治めることは無理でしょう。
自分の怒りを処理できないものが、千年王国の町をまかされますか?
モーセのような練られた人格でも、240万人ぐらいの民を率いるのは、
骨が折れたようですから、
まして、一人である、自分を支配できないで町を治めることなどとんでもないことです。
その資質を訓練されているのが、未来ではなく、「今です!」
今、全員が取り組んでいるはずの、ことです。
「皆が1ミナ」
与えられたもので、どれだけ征服できたかに従って、
町が任せられるのです。(ルカ19:11〜26)
千年王国というのは、この地球上でですよ。
まもなく起ころうとしている7年の艱難期の後に、
つまり、イエス・キリストに属する者たちは、天で過ごす七年間の後に
イエス・キリストと共に地上に戻り、
「エデンの園再建計画」の1000年間のプロジェクトに加わるのです。
この地球上の千年王国における約束です。
ですから、自分の嫌な性質、性格、弱さなど、放っておかないでください。
風呂敷に包んでしまいこんでしまわないように。
今日からしっかりと嫌な自分と向き合って
聖霊の助けをいただいて、変えていただきましょう。
今日もウェブチャへようこそ!
私もまだまだです。毎日嫌な自分と向き合わされています。
問題のないのが幸せなのではありませんね。無い日は無いので。
どんな状況でも、イエス様と共に過ごせることが
一番の幸せです。
内住してくださる聖霊なる神の助けをたくさんいただいて、
今日も少しでも前進していきましょう。
良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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