昨日のニュースでは、中高年で引きこもりとならざるを得ない人たちが61万人、働いている人の中で非正規雇用の人たちは4割もいるそうで、老後の不安を抱えたままの人たちが、年々増えている日本の先行きは、とても心配です。
さて、38年間のどん底からの再出発のキッカケをつかんだ病人の実例を見てみましょう。
「神のいつくしみの家」と言われる池のそばにすみつくように路上生活をしていた人ですが、38年間なんの変化も得られず、来る日も来る日も叶わぬ願いの実現を期待しつつ伏せっていました。
その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。 ヨハネ5:1〜2
「五つの回廊」は「モーセ五書」(旧約聖書の最初の五冊、創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)を意味しており、その回廊の下には、人々の飲み水や、神殿でほふられる動物の血などを洗浄する水として、北から流れくる水をせき止めて溜めた池です。
「神の律法」に取り囲まれ、その真ん中には「神の慈しみの家」があるという、象徴的な意味を持ったベテスダの池です。ベテスダとは、ヘブル語で「ベテ」が家で「ヘセド」が慈しみですから、「憐れみの家」「慈しみの家」です。
ところが、池の周りには、あわれみもいつくしみも体験できないまま大勢の病む人たちが、横になり伏せっている異様な光景がありました。
ベテスダの池に人が群がる理由
その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。彼らは水の動くのを待っていた。主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初にはいった者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからである。」ヨハネ5:3〜4
過去の奇跡、人々の言い伝えや伝説に、わらをもすがりたい人々が、奇跡を期待して、伏せっているのです。このベテスダの池の人気は、過去に起こった奇跡の言い伝えによるものでした。
神を待っているのでも、神の言葉を求めに来ているのでもありません。病んでいる人たちが求めているのは、天使です。癒しの天使ラファエルが来て、池の水を動かす瞬間に最初に池に入れば、どんな病気もいやされると期待していたのです。この日は、いつもより大勢の群衆でごった返していました。
時は、三大祭りの1つで、定冠詞がついた祭りは「過越の祭り」をさす可能性が高いのです。いずれにせよ、多くの人々が、祭りに参加するために、ベテスダの池で身を清めてから神殿に向かうのです。
病んで伏せっている大勢の人々に気をとめることもなく、祭りに浮かれて、足早に通り過ぎて行く人々の群れが、池に向って来ては、身を清めて去っていきます。誰も伏せっている病人たちを、気にもとめません。むしろ、邪魔だと言わんばかりに、迷惑そうな表情を浮かべながら去っていくだけです。
大勢の人たちが「やり直したい」と思っています。「やり直せたら」と思っています。それは、とっても大事な第一のステップなのです。
みんながそう思っていても、やせ衰えた者たちが大ぜいの伏せっているのです。一歩を踏み出したと思うのに、一歩を踏み出すための足に力が入らないのです。足がおとろえたり、なえているのです。
来る日も来る日も、「べテスダの池」の水がかき回されるのを見ているだけの病んだ人たちが、池の周りにあふれています。この祭りの時に池の中に入って身を清めているのは、健康な人たちだけです。
人生の中に奇跡が起こるのを、ひたすら待っているのですが、
しかし、一向に変化はありません。助けてくれる人もいないのです。
私たちの社会は、どうでしょうか?
誰もが、自分のことだけで、手一杯ではないでしょうか?
手を差し伸べてくれる人もないので、ただひたすら奇跡を待っているのです。
ですから、伏せっている「カタケイマイ」κατάκειμαι「横になる、横たわっている」人々は全員、天使を待っているのです。池の中央を見つめただ水が動く奇跡をじっと待っているのです。
「もう、無理!」そこからの出発です。
この人たちが、祭りを楽しめる日は来るのでしょうか?来ます。来ています。
なぜなら、あなたのことを大切に考え、あなたの救いのためにあなたに近づいている人がいるのです。
祭りに浮かれてエルサレムの神殿に向かう人たちの流れに逆らうように、38年も病気で伏せっている病人に向かって近づいて来る人がいたのです。
来る日も来る日も、期待し続けてきたのにもかかわらず、何も変わらず、幾多のチャンスを逃し続けてきた。
多くの病人の中でもあるひとりの病人は、38年間もそうやって失望を重ねてきたのです。40年を1世代と考えている時代です。もう先もそう長くはないでしょう。
38年も祭りとは関係ない、希望も喜びもない生活を続けてきたのです。老い先短い彼は、すでに失意のどん底にいたともいえるでしょう。その人のために、イエス・キリストは近づいていきます。
あなたのために、イエスは近づいて来ています。
何が起ころうとしているのでしょうか?どうやって奇跡は起こったのでしょうか?
今日も良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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