聖霊のバプテスマ

異言の祈りの危険性

「聖霊のバプテスマ」と聞いて、私はとっても混乱しています!

次のようなことを聞かれて、とまどったことはありませんか?

「あなたは聖霊のバプテスマを受けましたか?水のバプテスマとは違いますよ。」「イエス・キリストを信じたなら、異言の祈りをしていますか?まだなら、聖霊のバプテスマを受けてください。」「聖霊のバプテスマを受けたしるしが異言ですよ。」教会を訪ねたら、何やら意味のわからない言葉で祈っていた。意味不明!??

「聖霊のバプテスマ」は聖書にない!?

聖書のどこかにありましたか?勧めとか、命令とかありましたっけ?

私はまだですから、求める必要があるのでしょうか?

祈り求めても、未だに与えられないのですが、私は不信仰なんでしょうか?

次の聖書の言葉はどうですか?

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。マタイ3:11

「水のバプテスマ」とありますよ。

でもそれは、日本語の訳だからです。オリジナルのギリシャ語のテキストでは、エンν 「の中に」という前置詞が使われて、バプテスマという名詞ではなく、バプティゾーβαπτίζω(現在形)「浸す」の動詞が続いています。「水の中に浸す」が正しいでしょう。

「聖霊と火とのバプテスマ 」はどうですか?

全くおなじです。前置詞エンν「の中に」バプティゾーβαπτίζω「浸す」の未来形が続きます。「聖霊と火の中に浸すでしょう」ということです。

書き直してみますと、

私は、あなたがたが悔い改めるために、水に浸していますが、私の後から来る方は、私よりもさらに力がある方です。私はその方の履物を脱がせてあげる値打ちもありません。その方は、あなたがたを聖霊と火の中に浸すでしょう。 マタイ34

「バプテスマ」バプティスマβάπτισμα 名詞は、22回

福音書で12回使われていますが、「聖霊のバプテスマ」と1度も使われていません。残りの使徒の働きから残りの書で10回使われていますが、聖霊と組み合わされているものは、ありません。ギリシャ語の聖書には、やはりどこにもありません。唯一日本語の聖書であるのは、以下の箇所です。

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」使徒145

ヨハネは「水でバプテスマを授けた」ヨハネは「水の中に浸した」ということです。ここでも、バプティゾーβαπτίζω 「浸す」のアオリスト(過去に起こった事実を表す)の動詞が使われています。

5節に「聖霊のバプテスマ」とあるじゃないですか!

しかし、この箇所も、実は名詞ではありません。バプティゾーβαπτίζωの未来形ですから、「あなたがたは聖霊のバプテスマを受ける」ではなく、「あなたがたは聖霊に浸されるでしょう。」が正しいのです。したがって、聖書に「聖霊のバプテスマ」は無いのです。

「聖霊のバプテスマ」は意図的に作られた造語?

「水のバプテスマ」「ヨハネのバプテスマ」「悔い改めのバプテスマ」「キリストの死に預かるバプテスマ」などありますが、「聖霊のバプテスマ」については、一言もありません。勧めもなければ、命令もありません。イエス・キリストの生涯を通じて、一言も「聖霊のバプテスマ」は話題にものぼりませんでした

弟子たちは、イエス・キリストに祈りを教えてくださいとお願いしていますが、「異言の祈り」を教えてくださいとは、一度もお願いしませんでした。事実、イエス・キリストも命じませんし、教えませんでした。また、イエス・キリストは1度も異言で祈りませんでした。イエス・キリストはイスラエル人やユダヤ人と話しているのであって、外国語という「異言」を話す必要がなかったからです。

ということは、どうなりますか?聖書にないこと、イエス・キリストも言わなかったことを、あたかも、聖書が裏付けているように「聖霊のバプテスマ」という言葉を作り出して、間違った教えを、聖書を使って正当化していることに悪意を感じます。「聖霊のバプテスマ」は、間違っている教理に基づいて造られた言葉であって、聖書にありません。

別のバプテスマがある?

からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。エペソ446

バプテスマは1つです。それは、水のバプテスマのことです。

「聖霊のバプテスマ」のことではありません。バプテスマは1つであって他にないのです。「聖霊のバプテスマ」など存在しないのです。聖書も勧めていませんし、イエス・キリストも命じていません。英語でもthe baptism of the Holy Spiritと使う人がいますが、それも聖書的な根拠がなく、間違いです。

聖霊はいつ内住されますか?

この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより約束の聖霊をもって証印を押されました聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。エペソ11314

「それを信じた」と訳されていますが、「それ」を「信じた」のではありません。

この方に信頼したことにより」約束の聖霊をいただいたのです。その時から、聖霊は、いつも常に私たちとともにいて下さいます。

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」1コリ619

 
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「聖霊のバプテスマ」と聞いて混乱しないようにして下さい。聖書にもないことで、責められたり、強制されたりして戸惑わないでください。また、「聖霊のバプテスマ」を受けたと思っている方、聖霊は、イエス・キリストを信じた時から、変わらずあなたのうちに内在されているのです。あなたの頑張りも必要ないのです。「異言」も関係ありませんよ。話せなくて問題ありません。聖霊がともにいて下さることに変わりはないのですから。

聖霊とともに良い1日をお過ごしください!
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コメント

  1. Masaluk より:
    コメントありがとうございます。早速引用箇所訂正しました。異言の祈りについて、今後さらに聖書から学んでみたいと思いますのでよろしくお願いします。
  2. 応為 より:
    書き込みながら熟読させて頂きました。聖霊の働きばかりを強調する教会が増えている中で、重要な理解です。
    悪気なく異言を以て祈ってくれる方もいますので、本物の御言葉をしっかり掴んでおくことが大事だと思いました。

    一点、マタイ3:4ですが、3:11だと思います(第3版でも2017年度版でも)。
    いつもありがとうございます!
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