思い煩いの上手な対処法 聖書の知恵(1)

聖書からのスピリチュアルライフ

心配をしてはいけないと、勘違いしていないですか?

不安を感じることは正しいことです。

心配することも大切なことです。

心を配るという素敵な気遣いだと思います。

「心配する」のギリシャ語は、μεριμνάωメリムナオー 「心配する、気を配る、気にかける、気にかけていたわる、思いをくむ」「思いわずらう」など、幅広い言葉で訳されます。

心配してくれる人がいるからこそ、家族は守られ支えられていきます。

互いに気にかけいたわり合うことは、むしろ勧められてされています。

不安を感じることや心配することはとっても大事なことです。なぜなら、前もって対処できることもあるからです。

良い例をあげてみましょう。

1、身体の中のいたわり合いのメリムナオー

からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。Iコリント1225

私たちの体の仕組みは、互いにいたわり合う関係です。そうでなければ、生活ができません。この文を書くためにも、目と手と指先とそれを支える身体と、骨格と内臓と脳と全機能がいたわり合っているのです。

身体の各器官が互いにいたわり合うように、キリストの体として集まるメンバーが、互いにいたわりあうことは、神の御心です。

2、関係の中でのいたわり合うメリムナオー

主に対してどのように喜ばれるかと心を配ること(Iコリント73234

妻が夫に対して、夫が妻に対して、いたわり合う、心を配ることは大事なことです。

群のメンバーのことを気にかけていく事は、互いに愛し合うことの一部です。

テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。ピリピ220

3、もてなしという気配りのメリムナオー

主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことに心を配り気を使い、心が乱されています。しかし、どうしても必要なことは一つだけです。マリヤはその良いものを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」ルカ104142(私訳)

マリヤは、良いものを選び、実は、マルタも良いものを選んでいたのです。

「マリヤは、良いほうを選んだ」と決してマルタと比較はしていません。

マルタの良い選びがなければ、イエス・キリストと弟子たちは体を休めることができず、マリヤはイエス・キリストからゆっくりと話をきくことができなかったでしょう。

マルタが選んだもてなし、接待、食事の準備や気配りは、とっても大事なことですし、この状況でなくてはならないものでした。「色々なことを心配し、気を使っている」マルタの心配りや気づかいを、イエス・キリストは決して責めていません。むしろ優しく「マルタ、マルタ」と呼びかけています。

「どうしても必要なことの1つ」を選んでいく

私たちは、体が1つしかありませんし、時間も限られていますから、

「どうしても必要なことを1つ」選ばざるを得ないのです。

主婦のすばらしいことは、同時進行で色々に気を配れるということです。

しかし、時に気を配ることが限界を超える忙しさにおいては、

同時進行と神様に信頼する同時信仰も必要です!

 
勧められていない例のメルムナオーはどんなものでしょうか?

4、限界を超える心配のメリムナオー

気を配ってもてなしの準備を進めているマルタも、始めのうちは良かったのですが、なにせイエス・キリストと十二弟子たちの少なくとも13人のもてなしです。ラザロも含めて自分たちの家族を入れたら16人にもなりますから、さすがのマルタも限界を超えます。

いくらもてなし上手のマルタも「心がみだされ」てきたのです。そういう時に、イライラを人にぶつけたくなりますね。ふと目を客人たちの方へ向けると、なんと、妹のマリヤがイエス様の前にすわっているじゃないですか!忙しいわけだ!

マルタもせっかく良いことを選んでしていながら、コントロールできる限界を超え、心が乱されてついに、怒り爆発です。そんな時は、だれでも周りを見て働いていないと思える人を責めたりしたくなるものです。一緒に準備を進めていたはずのマリヤが戻ってこないと思ったら、なんとサボっている‼︎

マルタは、たくさんの奉仕(食卓の準備と給仕と接待ともてなしのと気づかいと気配り)のために気が動転して、イエスのみもとに来て言った。「主よ。妹が私一人に奉仕を押しつけているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」 ルカ1040 (私訳)

そういった時に、神の知恵をいただき、自分の限界を越えた時には、神様に委ねていくということが知恵です。

限界を超えた証拠は、心のアラームがなることです

心を「乱す」τυρβάζωツルバゾー 「乱す、妨害する」ということが起こり始めた時には、危険なレッドゾーンに入り始めています。

良いはずの心配や気づかいや心配りでしたが、いつのまにか心が乱され始めます。それは、自分でコントロールできる限界を超えた時です。そのまま放っておくなら、物事の経過が気になり心が落ち着かなくなり、不安に襲われたり、眠れない一夜を過ごすことにつながります。

物事がどのように動いていくかをコントロールできなくなったものまで、自分でなんとかしようと背負いこまないことが知恵です。

「思いわずらい」というメリムナオー

何も思いわずらわないで、あらゆる場合に、感謝とともにささげる祈りと願いによって、あなたがたのリクエストを神に知っていただきなさい。 ピリピ4:6 (私訳)

「不安や心配や気遣い」と「思いわずらい」は違うのです。心のアラームがなりだした時、自分がなんとかなるという限界を越え始めます。それでもなんとかしようと心を使い続けることが「思いわずらい」になります。それは心と精神をむしばむもとです。

もはや何もできないのです。さらに心配してどう気を使いつくしたとしても、何も変わらない状況なのです。しかし、その時に、まだできることがあります。

あなたの思いと願いを神に知っていただくのです。「この全宇宙を創造し、保ち支配しておられる方が、私のリクエストを知ってくださった」と安心できるまで具体的に祈りと願いをささげてください。

そうすれば、すべての理性(知性、直感)にまさる神の平安が、あなたがたの思い(思考と感情)と考えをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ47(私訳)

理性ノウスνος「知性、直感」

思いカルディアκαρδία 「魂、思考と感情と意志の座」

考えノエーマνόημα 「意図、計画、策略」

「思いわずらい」始めるとさらに自分の理性を働かせて、知性や、直感であれこれ解決策を考えるものですが、ぬかるみにはまったタイヤと同じで、アクセルをふかせば空回りするばかりです。

「神に任せた」と祈り終えた時、それでも襲ってくる不安と心配と、悪い起こりもしないネガティブな思いと考えから、神の平安があなたを守ってくださるのです。どのようにしてですか?

「私のリクエストを全宇宙の創造者が知っていてくださっている!」と宣言していくことです。

ネガティブな思いや考えが浮かぶごとに、平安が支配するまで宣言しましょう。

「思いわずらい」を正しく対処し、「思いわずらい」に振り回されることなく、積極的に生きることを身につけていきたいと思います。

今日も良い1日を神の平安のうちにお過ごしください!

プッシュ通知を

コメント

  1. Masaluk より:
    応為さん、今回もありがとうございます。「アラームが鳴る」と訂正させていただきました。なるほど、長女長男としての責任みたいな意識も働いているかもしれませんね。続いてよろしくお願いします!
  2. 応為 より:
    この箇所は特に、長男長女だったら気になるのではないかと思います。マルタとマリア、そして放蕩息子の兄弟等、昔読んだ時は、聖書は長子に厳しいなと思っていました。
    最近は、寧ろ長子達の心の有り様が指摘された所なのかな、と思っています。

    一箇所小見出しで、
    〉のアラームがなりることです
    となっていました。
    いつもありがとうございます。
タイトルとURLをコピーしました