◉ 神によって滅ぼされた町:ソドムとゴモラの町
これらの町は滅ぼれなければならないほど、性道徳の堕落が、最悪の状態でした。ロトが近くに住み始めた時にも、すでに相当堕落していたようです。ソドムという町の名前が、sodomyという英語の単語になっています。検索されるなら「不自然な性行動を意味する法学において使われる用語」とwikipediaに出て来ます。・・・ソドムの人々はよこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人であった。アブラハムのおいのロトがソドムの町のそばに住み始めた頃のようすです。すでによこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人でした。それでもまだ、主は住民が良い方へと向かうことを期待し忍耐しておられました。しかし、とうとう限界を超えてしまったのです。
創世記13:13
そこで【主】は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」 創世記18:20〜21ソドムとゴモラの罪の事実確認が神によってなされた上で、ソドムとゴモラは天からの硫黄の火で、滅ぼされました。その時裁きの前に救出された住人はたった4人だけでした。
そして、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。
ユダ8節
◉ イスラエルがカナンに入植する前にいた7つ民
実は彼らも自らの罪のせいで滅ぼされることになったのです。人の罪が神の忍耐の限界に達するまで、神は決して裁きの手を下されません。7つの民の1つのエモリ人を例にみてみましょう。「そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」創世記15:16カナンのエモリ人はすでに罪人ではありましたが、アブラハムに語られた時点ではまだ「咎が満ちていない」神の忍耐の限界レベルには達していませんでしたので、神はエモリ人が神に従うようになるのを待っておられました。
しかし、イスラエル人がエジプトから帰還し、カナンに入る時には、彼らの罪は神の目にあまる状態であり、彼らは裁かれる呪われたものとなっていたのです。(申命記7:1〜2)そこで、神はイスラエル人をとおして、彼らを裁かれました。
あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、【主】が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。 あなたの神、【主】は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを呪われた汚れたものとしなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。
申命記7:1〜2
◉ ノアの時代はどうだったでしょうか?
大洪水直前は人類の罪と悪は、すでに神の忍耐の限界を越えていたのです。人々の心に悪があふれ、暴虐に満ち、絶えず悪をはかり実行している最悪な状態だったのです。しかも、町でも、国でもなく、地球規模での人類の堕落が地をおおっている状態でした。
【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで【主】は、地上に人を造ったことで深く傷つき長いため息をつかれた。そして【主】は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。 創世記6:5〜7aそれでも、神は洪水を起こすまで120年間待たれました。ノアの家族が山の上に箱船を建造している間、忍耐深く彼らが神に従うようになることを待っておられたのです。しかし、彼らは従いませんでした。大洪水に飲み込まれるまで、心を神に向けようともしなかったのです。「それで【主】は、地上に人を造ったことで深く傷つき長いため息をつかれたのです。」どれほど、創造主の心を深く傷つけたことでしょう。
その霊魂において、キリストは捕らわれの霊魂たちのところに行って、みことばを語られ(ケールッソー)たのです。 昔、ノアの時代に、箱船が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊魂たちのことです。わずか八人の人々が、この箱船の中で、水を通って救われたのです。 Iペテロ3:19〜20洪水で溺死した彼らの霊魂は、ハデスに送られ「捕らわれの霊魂たち」となったのです。旧約聖書で使われた死後の世界シェオールの中でも悪い方の人たちがいる、新約聖書で言うところのハデスへ送られたのです。十字架で息を引き取られる瞬間、イエスの霊魂は父なる神によりハデスに遣わされたのです。この驚くべき神のご計画を考えられますか?
神によって救いのチャンスを与えられていながら、従おうとしなかった人々の霊魂がいるハデスです。箱船に入らなかった人たちは、大洪水に飲み込まれ死に、霊魂となって2500年以上ハデスの中で苦しみ続けていたのです。最低最悪の人々がいるハデスへイエス・キリストは霊魂となって遣わされました。これを理解すると前の節の意味の深さをもっと味わえることでしょう。
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。 Iペテロ3:18「正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。」という神の愛、あわれみの深さです。「悪い人々の」代表が後に続く節で挙げられています。箱船が造られている間神が忍耐して待っておられたのにも関わらず、従わなかった霊魂たちだと。イエス・キリストは文字どうり全人類の身代わりとなったのです。十字架の前に、あるいは十字架の後に、ハデスにいる者たちのためにも身代わりとなったのです。神の愛とあわれみからもれるものは一人もいないのです。
今日もウェブチャを訪ねてくださりありがとうございました!
神の愛の深さはどれほどでしょうか?十分理解できていますか?いや、私たちが理解できるかできないかに関係なく、神の愛はハデスにいる者たちにも及んでいるということです。あなたも私も神の愛から絶対にもれることはないのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子に信頼するものが皆、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ3:16今日も1日神様に愛されていることを忘れずお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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