◉ 十字架の後、墓ではなくハデスに遣わされていた
すでに書きましたように十字架から直ちにイエス・キリストが霊魂においてハデスに遣わされ、ハデスから3日目によみがえらされたのは、父なる神が認めたキリストの義を私たちがいただけるようになること、すなわち私たちが義と認められるためにどうしても必要なことでした。すでに書きましたようにイエスは墓で休んでおられたのではなく、その霊魂において、ハデスに遣わされていたのです。
さらに、他の目的があったと聖書は伝えています。意見の分かれるところかもしれませんが、大事なのは、聖書に書かれていることで確認してくことだと思います。まず、聖書に書かれているところを偏見なしに素直に受け止めてみたいと思います。判断材料として私の調べた範囲をお伝えしますので、各自でさらにお調べになったりご判断していただけるとありがたいです。
さて、本題に入る前の確認です。
◉ 3つの死後の世界
死後の世界(旧約聖書では、シェオール)は、3箇所に分かれていたようです。人の霊魂が一時的に行く場所が2箇所、悪霊が一時的に閉じ込められる場所が1箇所です。3つとも地の下にあり、悪い場所ほど深い所にあると考えられていました。1つ目の場:「アブラハムのふところ(慰めの所)」
「シェオールの良いほう」で、アブラハムが管理している所でした。旧約の聖徒たちやヤハウェに信頼する人々の霊魂が死後に、天使たちによって迎えられたところです。イエス・キリストの昇天までの期間です。したがって、ラザロ(実話)もアブラハムのふところにむかえられました。(ルカ16:22)しかし、イエス・キリストの昇天後は、第3の天であるイエス・キリストのもとへ移されることとなり、アブラハムのふところの中にいた人々の霊魂も共に天に引き上げられました。ですから、今私たちが死ぬならば、天使たちが迎えに来てくれて天のイエス様の元へ迎えられます!
2つ目の場:「ハデス」
「シェオールの悪いほう」で、神に従わない人たちが死後向かう「苦しみの所」です。新約聖書の記者たちも、イエス・キリストもその場所を「ハデス」と言っています。イエス・キリストを救い主として受け入れなかった人たちが、一時的に捕らえられている場所です。永遠の刑罰である地獄ではありません。お金でなんとかなる煉獄(れんごく)でもありません。もちろん、煉獄など存在していません。3つ目の場:「タルタロー=タルタロス=アブッソス」
人ではなく、堕天使ども、悪霊どもが一時的に閉じ込められるところは、「下界の暗黒界 」ギリシャ語はタルタロー (ταρταρόω)「最も深い深淵」 タルタロス(Τάρταρος)の派生語、「底知れない深い穴」アブッソス (ἄβυσσος)底(ブソス)に否定の接頭辞「ア」がついて「底なし」「計り知れない深い穴」の意です。いずれも音訳のままでも良いかもしれません。神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、タルタロー (ταρταρόω)「最も深い深淵」に引き渡し、さばきの時まで暗黒の鎖で牢に閉じ込めてしまわれました。タルタローもアブッソスも同じ場所を指しますが、注目する特徴で呼び方だけが違っています。これも地獄ではありません。悪霊のために用意され、悪霊、堕天使どもを拘束する場所です。
IIペテロ2:4
悪霊どもはイエスに、アブッソス(底知なしの深い穴)に行け、とはお命じになりませんようにと願った。
ルカ8:31
◉ 難解?問題?の箇所と言われる次の箇所を避けては通れませんので、ここで取り上げます。どう納得したら良いのか、ご一緒に検討しいただけたらありがたいと思います。
その霊魂において、キリストは捕らわれの霊魂たちのところに行って、みことばを語られ(ケールッソー)たのです。 昔、ノアの時代に、箱船が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊魂たちのことです。わずか八人の人々が、この箱船の中で、水を通って救われたのです。 Iペテロ3:19〜20
◉ 「捕らわれの霊たちのところ」とは、どこですか?
1つ目の場:神ヤハウェを信じる人たちのところ、シェオールの良い方のところである、「アブラハムのふところ(慰めの場)」と考えてみましょう。そうなると、次の描写がどうも合わないと思いませんか?
「捕らわれの」とは、ギリシャ語のフラケーφυλακήで「獄」で「獄の中、プリズンの中、牢屋の中」とも訳されます。したがって、中に入っているのは「旧約の神に信頼する聖徒たち」ではありません。彼らはアブラハムが看守となって囚われているわけでも、獄に入れられているのでなく、「慰めの場」にいるのです。
また、旧約の聖徒たちは、「ヤハウェなる神の妻」と例えられています。イエス・キリストに属する者たちが「キリストの花嫁」と例えられているのと対応しています。
そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」 ──この「上られた」ということばは、彼がまず地のより低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。エペソ4:8〜9「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、」とあるのは、アブラハムのふところにいた旧約の聖徒たちのことでしょうか?「妻」を決して「捕虜」とは言いません。だれも自分の妻に「うちの捕虜が」などとは、口が裂けても言えないことでしょう。「家内」とはいえ、もちろん「座敷牢」に監禁しているわけではないでしょう。(笑)
この捕虜とは一体誰のことを指しているのでしょうか?
検討してきた範囲では、イエス・キリストは「アブラハムのふところ」に行ったのではないようですね。
では、イエス・キリストは霊魂においてどこに行っていたのでしょうか?残りの2つの可能性を検討して行くつもりです。
いつもウェブチャを読んでくださりありがとうございます。
風邪をひいたようで、今、回復しつつありますが、気力が落ちている5日目です。
その間書く気力はあまりありませんでしたが、聖書を読み色々と調べる時間をいただきました。ぼちぼちとウェブチャに載せていきますので、よろしくお願いします。明日の朝は、イエス・キリストの復活記念日です。その意味を十分理解して記念していきましょう。
祝福を祈ります!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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