ハデスで福音が宣べ伝えられた目的は?
彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けたが、霊においては神によって生きるようになるためです。Iペテロ4:5〜6
「霊においては神によって生きるためでした」の「生きるためでした」では、ザオーζάω「生きる」の現在形能動態接続法ですから、過去形でも完了形でもありません。「生きるようになるためです」と、未来の可能性への期待を述べる表現です。肉体においては死にましたが、霊魂の状態で、そこから「神に対して生きるようなる」ことが神によって願われているのです。そのために「ハデスでも福音が伝えられました。」
単に「生きるようになる」だけでなく、「神のために」とあるのは、福音を聞いた結果、「従わなかった霊魂たち」の中から、「イエス・キリストを救い主として信頼する者たちが出る可能性」を期待しているということです。新共同訳聖書の「神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。」の訳が、適切と思います。
イエス・キリストが十字架の後ハデスに遣わされて、よみがえらされるまでの3日間にわたって、ハデスで福音を宣べ伝えられた事実をここでも述べているのです。ハデスにいる「従わなかった霊たち」へ福音が宣べ伝えられたのです。
3:19と4:6を合わせて読みくらべるなら、「福音を伝える」エウアンゲリゾーと「福音を宣べ伝える」ケールッソーは大体同義的にあるいは、交換可能な言葉として使われていることがわかります。単なる「宣言」ではないのです。
何という慰めの言葉でしょうか?
ハデスで福音が宣べ伝えられることで、生きている間に福音を聞くことがなかったとしても、「誰一人救いの福音を聞かなかったという人がいない」ことになります。
イエス・キリストの十字架の受難は、全人類のためであり、過去・現在・未来の全ての人のためであり、すでに死んでハデスにいる霊魂たちのためでもあるのです。なぜなら、イエス・キリストが全人類の救い主だからです。
この方こそ、私たちの罪のための──私たちの罪だけでなく、世全体のための──なだめの供え物です。Iヨハネ2:2
そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ──私は真実を言っており、うそは言いません。 Iテモテ2:3〜7a
全ての人が救われるための十字架の救い
イエス・キリストの十字架の受難は、「すべての人が救われるため」であり、「すべての人の贖いの代価です。「全ての人」というのは、その時代の人だけですか? いや、私たちをふくむその後の恵みの時救いの日が、終わるまでの人々のためでもあります。「全人類」とは、イエス・キリストの十字架以前のアダムから始まるのすべての人々も含んでいるのです。ユダヤ人も異邦人も含まれています。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。ピリピ2:10〜11
エピゲイオスἐπίγειος「地の上にあるもの」と、カタクソニオスκαταχθόνιος「地の下にあるもの」が対比されています。「地の上にあるもの」とは、地上で生きている人々です。「地の下にあるもの」とは、旧約聖書でシェオル(死後の世界)を「地の下」と表現していたように「死んでいる人々」、すなわち「ハデスにいる霊魂たち」のことを指しています。
「すべてが、ひざをかがめ、すべての口が」とあるように、例外はないのです。
「イエス・キリストは主である」と強制的にひざをかがめて告白することではありません。神は暴君ではありませんから、そのような強制的な礼拝を喜ばれません。そうではなく「イエス・キリストが救い主である!」と心から信頼して告白する者たちによって、父がほめたたえられ、栄光が帰されることが期待されています。
「天において」とは、天界における天使軍や霊的存在です。「地において」は、先に救われたイエス・キリストに属する全ての人たちです。「地の下」とはハデスにおいてイエス・キリストを救い主として信頼し受け入れた人たちの霊魂です。「霊においては、神によって生きるようになった人たちの霊魂によって」父なる神がほめたたえられるようになるのです。
そのために、イエス・キリストは、ハデスに十字架の受難の後すぐに遣わされ、福音を宣べ伝えられらのです。その目的は、ハデスにおいても一人でも多くの人が救われるためではないでしょうか!そして、その霊魂たちによっても、父なる神がほめたたえられるためだと書かれているのです。驚くべき神のあわれみです!
神は誰の死も喜ばず、あなたが生きる事を願っています。
神様が今も願っておられるのは、あなたがイエス・キリストを選び、霊において生きる事です。「わたしは、誰が死ぬのも喜ばないからだ。――神である主の御告げ。――だから、悔い改めて生きよ。」(エゼ18:32)
「私はきょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのち・・・・」(申命30:19〜20)。
全ての人が救われるように、イエス・キリストは十字架の救いを完成しましたが、全人類が救われるわけではないのがとても残念でなりません。あなたが自分の意思で、神の期待に応答するかどうか、永遠のいのちという救いのプレゼントを受け取るかどうかが、未来を決定します。
もしまだでしたら、今「イエス・キリストが私の救い主です!」と、神にあなたの意思を伝えてください。それが「いのちを選ぶ」ことです。ぜひとも御子イエス・キリストに信頼していく人生をスタートしてくださるように、お祈りいたします!
今日も良い1日をお過ごしください!
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子に信頼する者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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