聖霊の力をいただく新たな体験
主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。 御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。 使徒4:29~31ペテロとヨハネが投獄されたり、政府からの圧力がかかるようになった時、救われた者たちは祈り求めました。「大胆に福音を語らせてください。癒しとしるしと不思議なわざを行わせてください。」と祈り求めました。「わけのわからぬ異言」を話せるように祈りませんでした。
祈る一同に与えられたのは、「聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語ること」でした。「癒しとしるしと不思議なわざ」は与えられませんでした。
使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。 使徒4:33この祈りの体験を通して、祈るなら聖霊に満たされ、宣教のための聖霊の力をいただくという体験となり、事例となりました。宣教における力は、聖霊なる神から与えられるのです。
今日の私たちも同じです。私たちは、聖霊の力をいただくことができます。この地球にエネルギーを与えた同じ聖霊なる神の力をいただくことができます。父なる神にイエス・キリストのお名前を通して祈り求めるのです。
「癒しとしるしと不思議なわざ」が与えられなかった理由
十二使徒たちには託された使命がありました。彼らが特別に神に選ばれ任命された理由は、新約聖書を執筆し、また、神の権威ある言葉によって初代の教会(エクレーシア)を建て上げるためでした。彼らが特別な「使徒としての使命」を与えられていることは、「癒しと多くのしるしと不思議なわざ」を行えるよって証明されたのです。ですから、使徒に与えられていた賜物と、他の弟子たちの与えられたものは異なっていたのです。
使徒たちの手を通して、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われた。(使徒5:12 ) エルサレムの付近の町から、大勢の人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。使徒5:16
「癒しと多くのしるしと不思議なわざ」も一時的なものだった
彼らの奇蹟を行う力も晩年には、なくなります。聖書の完成が近づく事と反比例するかのようにでした。パウロは、目が悪くなり、迫害で受けた傷の後遺症か、持病で苦しむようになりました。そして、パウロ自身も真剣な三度の祈りを通して、癒しを祈り求めましたが、その祈りは退けられ癒されなかったのです。テモテが度々起こる腹痛で悩んでいる時も、パウロは当時の民間療法として少量のぶどう酒を服用するように勧めました。その時には、テモテをパウロも癒せなかったからです。
聖霊の内住の証拠「聖霊=神をあざむくこと」
ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。(使徒5:1〜3)嘘をつくことは自分を欺いているのではなく、自分のうちに住んでおられる聖霊を欺くことでだというのです。また、神を欺いていること(使徒5:4)だと受け止めていたのです。「聖霊=神」です。
また、嘘をつくことは、人を欺く事ではなく、「主の御霊を試みる」(使徒5:9)事なのです。
それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」 (使徒5:4)ペテロの言葉を聞いたアナニヤは、自分が何をしたのか気づかされました。
アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。(使徒5:5)「これは、厳しい!」「ちょっと怖い!」など、思われるでしょうが、そちらばかりに目を止めて、大切なことを見落とさないようにしてください。
アナニヤとサッピラが命をかけた真理
とっても重要な真理は、イエスはキリスト(救い主)だと信頼する者たちに、聖霊なる神が常に内住してくださっているということです。アナニヤとサッピラ夫婦にも聖霊が内側に住んでいてくださっていたのです。救われた者たちの内に住んでいてくださる聖霊を、はっきりと認識させる事件でした。私たちもお互いにうちに住んでいてくださる聖霊を意識して生きることが大切です。 いつの間にか忘れていたり、意識しなくなっていたりして、パラクレートスであり、共にいてくださる聖霊を無視したりしていないでしょうか?
聖霊を悲しませる罪
私たちも聖霊を悲しませることのないように、心がけていきましょう。「わけのわからない異言」が話せなくても、イエスが救い主として信頼した瞬間から、聖霊はあなたの内側に来てくださっているのです。それなのに別のしるしや奇蹟を求めて、聖霊を試すことにないようにして下さい。「異言がなければ聖霊が与えられていない!」という勧めは、全く間違った勧めです。
すでに聖霊が住んでくださっているのに、聖霊が不在であるように疑うことは、同居している家族がいるのに、その存在を無視するのと同じです。家族が悲しまないはずがありません。
聖霊の賜物よりも大切なこと
あなたを聖なる宮として住んでくださっている神が、私とともにいてくださるのです。聖霊が私の内に住んでくださっていることを通して、悪霊は入り込むことができません。完全な守りです。さらにありがたいことに、あなたが求めるなら、聖霊のパワーをいただくことができるのです。その特権を活用されていますか?
そして、聖霊の賜物が私にはないと嘆く必要など、全くありません。
最大の賜物は聖霊ご自身です。私たちのうちに住んでいてくださる聖霊!この方こそ、最高の宝であり、最高の賜物なのです。
今日もウェブチャへようこそ!
あなたは最高の賜物である聖霊が住んでいる人ですか? それこそが最高の人生を生きる秘訣です。もはや、一人ではなく、ともにいてくださる聖霊と歩むことができるからです。 聖霊から力をいただいて、今日も良い1日をお過ごし下さい。
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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