イエスは、人々に言われた。「狭い門」と言うと、難しいとか、難関だという意味で使われますが、
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、
はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。」 ルカ13:24
ここでの難しさは、はいりにくさではなく、見つけにくさです。
天国に至る門は、1つです。入るのは優しいのですが、見つけるのが難しい!
逆に、見つけるのがやさしい門は、大きく、広い道がその前にあります。物質的繁栄を約束し、ご利益をチラつかせて、多くの人が喜んで入ってきますが、その行く先は、滅びです。
キリスト教の教会にも、そういった門がいくつも開いています。
世の中と迎合して、教えも教理も変更している教会もあります。
イエス・キリストではなく、「不思議やしるし」がもてはやされ、強調される教会があります。中には、イエス・キリストが締め出されている、イエス・キリスト不在教会もあります。
「狭い門」は教会ではなく、イエス・キリストです。
イエス・キリストとの関係を持つことなしに、神の国に至ることはできません。
天国は唯一の門「イエス・キリスト」を通してでないと入れないということです。
天国に至る道筋は、山の頂上に行く道のように沢山あるように思います。途中山あり谷あり、晴れの日もあれば吹雪く日もあるのです。人により、その道筋は違います。しかし、神の国に通じる入口の門は1つだけです。イエス・キリストが門です。キリスト教ではなく、教会でもなく、哲学でもなく、イエス・キリストです。
天国に入れる者は、罪が完全に赦されている者だけです。
1つの罪であっても、持ったままでは入れません。
イエス・キリストだけが罪を赦す救いを完成しました。他に誰も成しとげていません。
あなたが受けるべき神からの刑罰を、あなたの身代わりに受けることをしてくださったのは、イエス・キリストだけです。排他的なものの言い方に聞こえるかもしれないけれども、実際イエス・キリスト以外に救いはないのです。それが事実であり、現実です。私たちの身代わりに神の刑罰を受けた罪なき人は、イエスの他にないからです。
この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私 たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。使徒4:12時には、常識や決まりに反しても、正しく判断し行動することが必要です。
3、11の津波の時に、機転きかせて避難した大船渡小と越喜来小は全校無事でした。助かった小学生たちは、普段指示されていた避難場所でなく、高台に移動して助かりました。マニュアル通りに揺れが収まってから移動したのでは、津波に飲み込まれてしまっていたのです。「大きな揺れのときにしゃがみ、小さい揺れのときに急ぎ足で逃げた。」のです。
多くの人が行くからと、ただ人についていくのではなく、自分の頭で考えて行動することの大切を学びました。校庭の避難所に集まった後、校門より山手のフェンスをよじ登って高台の大船途中へ移動を開始して助かったのですね。その後避難所の校庭は津波に飲まれ、校舎1階に浸水してきました。
学校教育で校門ではなく、大きい子どもたちはフェンスをよじ登るように、また小さい1、2年生は教職員が助けてフェンスを越えさせたのです。学校の規則を破ってでも、命が優先されたのですね。
本当は、誰でもイエスへの信頼だけで、救われるという「広い」門なのですが、闇の勢力の妨害のせいで、多くの障害物が置かれて、結果的にステノスστενός(近くにある障害物のせいで)「狭い」見つけにくいように「狭くさせられて」しまっているのです。
イエス・キリストに「あなたは、私の救い主です!」と祈り信頼するだけで、あなたはその門に入れるのです。しかし、「努力して」入るように勧められています。
「努力する」アゴーニゾマイἀγωνίζομαιとは、「闘う、(賞を得るために)熱心に努力する」つまり、「戦い努力し続ける」ことです。
賞を得るためのオリンピックの競技者のように、自分を鍛え、自制し、トレーニングを怠けることなく、自分との戦いをまず制覇することに例えられます。
いざ、門から入ろうとすると、色々な妨害があることに気づかされます。
神の国の入り口を前にしながら、あなたを入らせようとしない妨害が出てくるのです。イエス・キリストが救い主だとわかったのに、踏み込めない妨害。
あなたの決断を妨げる霊的な闇の世界の妨害があります。不思議なことですが、あなたがどんな宗教に入ろうとしても、このサタン側の反対は一切ありません。本物を知っているサタンは、あなたがイエス・キリストに信頼することだけを妨害します。それが悪魔にとって不利な真理である証拠です。
家族の反対という妨害があります。年齢が上の人ほど、江戸時代の踏み絵やキリシタン禁令の高札が掲げられた迫害時代の心的トラウマを潜在的に持っています。ヤソはあかん!と考えている。しかし、日本人の先祖たちは、イエス・キリストを選んだのです。ローマのあの迫害時代の殉教者の数にも劣らない人数の先祖たちが、命をかけて事実を証明してきたのです。
どんなに反対があろうとも、あなたがイエス・キリストを救い主と受け入れること、あなたの正しい判断が、あなたもあなたの家族も救うことになるのです。
私もイエス・キリストに信頼したことで、両親から勘当され、家を出ました。最終的に両親とも救われて,妹とともに天入しています!
一般常識という妨害があります。みんながイエス・キリストでない道を選んでいるから、その中でイエス・キリストを信じて行くことはなぜか、流れに逆らうように思うのです。流れに逆らえるのは生きた魚だけです。死んだ魚も落ち葉も流されるだけです。時に一般常識は、間違っていることがありますよ。
他にも妨害があることでしょう。でも正ことを正しい判断を持って選び、正しい道へと踏み出すことがとっても大切です。
「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいっていく者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」マタイ7:13~14
今日もウェブチャへようこそ!
今日の選択は、未来へ続きます。感覚や感情ではなく、理性を持って正しい判断をしてください。
あなたの幸せを何よりも願っている神の心を受けとめてください。
「狭い門」である、イエス・キリストを選ぶひとりとなってください!
今日良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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