イエスが勧める思いわずらい対処法(3)「極きわめてちっちゃな事!」(身長すら伸ばせない)
「思いわずらい」を上手に対処できるようになっていますか?
イエスの勧めは、
1、「思いわずらうな!」
思考の堂々巡りする心に「思いわずらうな!」とその都度宣言することです。
2、「カラスのことを考えよ!」
思いわずらう時、「カラスだ!」と事実だけにフォーカスし、事実を書き出し整理すること。
でしたが、うまくいっていますか?
今回の勧めは、
「自分の身長を45cm伸ばすこと!」
さて、どんなことを勧めているのでしょうか?
あなたがたのうちのだれが、思いわずらいによって、自分の身長を45cmでも延ばすことができるのか。そんな極めてちっちゃな事ことさえできないのに、なぜほかのことまで思いわずらうのか。ルカ12:25〜26(私訳)
寿命を延ばすことも、身長を伸ばすこともかなりむずかしいことです。
それを願っている人は、世界中に大勢いらっしゃることでしょう。権力者も億万長者も長寿を求めていたので、錬金術が発達したそうです。莫大な投資をしても、誰もまだ実現できていません。
ここで言っているのは、「身長」ですか?「年や長寿」のことですか?
「身長」とも「年」とも訳せるギリシャ語のへーリキア ἡλικίαは、どちらを指しているのでしょうか?後に続く言葉がヒントになります。
「少しでも」と訳されたギリシャ語は、ペーキュス πῆχυςで、長さの単位であり、1ペーキュス=1キュビト =約45cmですから、これは身長のことを言っていることになります。
2、3cmぐらいでしたら、姿勢などを矯正すすだけで、伸びたりする可能性があるようですが、45cmともなると無理でしょうね!
そんな極めてちっちゃな事
しかし、イエス・キリストは、身長を45cm伸ばすことも、「そんな極めてちっちゃな事」と言っています。
「極めてちっちゃなこと」とは、エラキストス ἐλάχιστος very little(small),smallestですから、「極めてちっちゃな事」ということです。
思いわずらう原因となるものは、決して「ちっちゃなこと」ではなく私たちにとっては、「極めておおきなこと」ですが、神イエスにとてっては、「極めてちっちゃなこと」なのです。
寿命と違って、身長はできそうでいてできないことといえます。
出来ないのに、出来るかのように思いわずらいあれこれ考え悩み続けるところに、実は問題の根があるのです。
非現実的な結論をひねり出すことをやめる
自分の限界を受け入れることがなかなかできないのです。
出来ないことは、やはり出来ないのですから、「できない!無理!」と認めていいのです。
どうあがいても出来ないのに、なんとかしようと頑張り続けるから、思いわずらってしまうのです。
ベッドに入っても考え続けていることが、思いわずらっているということ、体力も気力も消耗していきます。
そんな時どうしますか?
自分の力では、どうにもならない問題であるのにもかかわらず、非現実的な結論をひねり出すことをしていないですか?
もし宝くじが当たったら、なんとかなるのに、
もし特殊能力があったら、もっと身長があったら、…
など、「非現実的な結論に逃げるな!」ということです。
逃避しても解決になりません。それでも、思いわずらう時は?
出来ないことにいつまでもこだわって、悩み続けるのではなく、
「思いわずらわない!」
「カラスのことを考えよ!」事実だけをしっかりと見つめ、整理していく。
そして、「身長を45cm伸ばす!」なんて無理、できないと認めるのです。
さらに、非現実的な結論に逃避しないで、「極めてちっちゃなこと!」と言われる神に信頼することです。
神に信頼して問題をありのまま、お伝えしていくことです。それが祈りです。
身長すら45cmも伸ばすことができないのですから、
私にとっては不可能と思える問題を「極めてちっちゃなこと」と言われる神に、信頼し祈りましょう!
何も思いわずらわないで、あらゆる場合に、感謝とともにささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事(リクエスト)を神に知っていただきなさい。ピリピ4:6 (私訳)
全能の神にとって、私の願いやリクエストは、どんな願いでも「極めてちっちゃなこと」ですから、大胆にお願いしましょう。
全能の神に、私の願いを聞いていただいているので、もう安心して良いのです。
神様があなたの祈りを聞いてくださるという親しい関係になっていますか? まだでしたら、今すぐ、「神様、私はあなたに信頼します。イエス・キリストが私の救い主です。」とお祈りしてください。その時、神はあなたの父となり、あなたの祈りは、子の祈りとなって受け入れられますよ。
「あらゆる」とは、ギリシャ語の パス πᾶς 「全て、なんでも」です。
私たちはあらゆる思いわずらいの1つ1つを全て、神に知っていただくのです。
その都度、一つ一つ、全てです。
安心できるまで、思いわずらいの1つ1つを全て神に知っていただくのです。
「そんな極めてちっちゃな事と言われる神様に私の思いわずらいを知っていただいたから、もう安心!」と平安の心をいただくのです。思いわずらいから解放するまで、神に信頼して祈りましょう!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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