重荷(1) 人生の重荷ストレスに疲れ果てた

クリスチャンライフ
人生の厄介な重荷」をかかえている時、どうやったら安らぎを得られるのでしょうか?

1. どうすることもできない最大の重荷

どうすることもできない最大の重荷があります。
しかし、背負う必要のない重荷
があるのです。

最大の重荷は、自分の罪です。
罪とは言っても犯罪とは限りません。
本来あるべき姿から、離れていることも、
あなたの造り主の心から、離れていることも「ハマルティア的外れ」を称して聖書は罪と言っています。

気がついた時には、神の心から遠く離れていたわけですし、
全人類が共通に持っている罪という重荷は、人間が償うことも、
解決することも、どうすることもできない最大の重荷です。
どうすることもできない過去、罪、咎、過去の問題からくる罪責感、良心の呵責

しかし、その解決のためにイエス・キリストは来てくださったのです。
イエスが十字架にかかってくださったのは、
あなたの罪を背負いあなたの代わりに刑罰を受け、
あなたには、刑罰ではなく、赦しと解放を与えるためでした。

ですから、過去の一切の罪と罪の重荷を、十字架のイエスに手渡しましょう。
どうやって?
イエスに祈るのです。
心に浮かぶ全てを、神が喜ばれない一切合切を神に向かって、祈り尽くすのです。
それが十字架のイエスに手渡すことです。もはや、抱えている必要がないのです。
最大の重荷から解放されてください。
そうでないと、あなたの人生は、悪い方向へ狂っていきますよ。

クルマを運転していて、どうもハンドルが左に、左に取られる時がありました。
クルマを停めて調べてみると、タイヤに大きな釘が刺さっていました。
そのためにまっすぐに進みたかったのに、進めなかったのです。

パンクの修理ではなく、新品のタイヤを買う事になってしまいました。
すぐ気づいて対処すればよかったのですが、
ハンドル操作で頑張ってしばらく乗ってしまったため、
釘がタイヤの側面を傷つけ、修理不能となってしまったのです。

罪とは、神様の心、思いから外れていく一切のことです。
心に釘が刺さったままではないですか?

あなたの心の釘は抜いて良いのです。修理不能となる前に
あなたの代わりに、イエスが十字架で釘付けになってくださったからです。
人生最大の重荷から解放されたら、本当にスッキリしますよ。
これだけでも、あなたの人生は、本来のあなたらしく
喜びと平安を持って生きることができるようになりますよ。

2. 捨て去る事が出来ない重荷

しかし、捨てて良い重荷、捨てなければならない重荷があります。
捨て去る事が出来ないと、自分で思い込んでいる重荷がありますね。

もし、降ろせる重荷なら、降ろしたらいいのです。
責任があるからとか、周りがどう思うかとか、気にしている場合ではない時がありますよ。
自分の限界を考えて、どうにもならないと判断したら、それ以上かかえないことです。
自分の限界を超えるストレスになると思えるものは、初めから負わない!
負ってしまったら、気づいた時に、できる限り早く降ろしてしまえばいいでしょう。

ストレスを与える人とは付き合わない。
その人とは、距離を置いたり、付き合いをやめたらいい!
ストレスになりすぎるなら、仕事だってやめたらいいのです。
重荷から解放された時、本当にメンタル的にも身体においても健康が与えられます。
時には、そう選択をしても良いのです。

早めに捨てないと、精神も身体もボロボロになって回復のために、
かなり時間とお金を費やすことになり、薬漬けにもなりかねないのです。
早めに辞め、捨て、縁を切り、本来の自分に戻り
再出発したら良いのです。

わたしも昨年5月末まで、職場に置いて、責任ある立場にいました。
体がボロボロになり、後で心が病んでいたことを知ったのです。
かなりのストレスを知らずと抱えていたようです。
職を辞して、再出発しました。
結果は、本当に良かったですよ。

3. 負い続けなければならない重荷

しかし、降ろせない重荷があります。これが結構やっかいですね。
すべて、疲れ果てた人、重荷を負わされている人は、
わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイ11:28
重荷を負う」はギリシャ語で「フォリティゾー φορτίζω」です。
受動形なので、重荷を負わせられた人ですね。
疲れる」コピアオーκοπιάω とは、単なる「疲れ」ではなく、
重労働、過労のため疲れ果てた人」のことです。

こちらは能動形ですから、自分から引き受けた仕事や重荷なのですが、
それが今では、かなりのストレスなっているというのです。

重荷を自ら負い、重労働、過剰な労働で疲れ果てている人、
あるいは自分が望んでもいない重荷やストレスを、自分の意思ではなく、
不条理にも負わせられ疲れ果てている人への招きです。

この重荷は降ろせな重荷であり、ストレスを抱え続けなければならない状況なのです。
なぜなら、「重荷を降ろして」休みなさいとは、言われていないからです。
人生のなかには、降ろせない重荷があります。

その重荷を降ろせないと、考えるだけでも、疲れ果ててしまいますね。
育児が超ストレスでも、親をやめられません。やめたらもっと大変なことになります。
仕事が超ストレスで、それが原因だとわかっていても、
家族のため、生活のために辞められないんです。
降ろせない重荷人生のなかには、降ろせない重荷があります。
家庭環境や人間関係でどうしても切れない関係があるものです。

では、重荷を負い続けなければならない状況で、
どうやったら休みが得られるのでしょうか?

 
今日もウェブチャへようこそ!
途中で終わってしまってすみません。
続きをすぐに書きたいですが、こちらでまもなくエクレーシアです。
その準備をしていきますので中断し、後で続きを載せます!
遅くとも明日の朝までに。

降ろせる重荷を降ろし、罪の赦しをいただいて、
今日も良い1日をお過ごしください!
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