「日ごとの糧の祈り」の勧め
「私たちの日ごとの糧(パンの塊、一斤)をきょうお与えください。」マタイ6:11
私はパンも好きですが、1日の中でご飯を食べないと落ち着かないです。最近は、小麦がダメだとか、グルテンフリーが良いとか、リーキーガット症候群にならないためにとか、心配している人もいますね。
しかし、ここではパンやご飯のことではなく、当時の社会での必要なことの代表がパンだということで、「パンをお与えください」との祈りとなっています。しかし、パンだけでなく、日常生活の必要であるならなんでも祈っていいのです。
実は、「日ごとの」と訳されたギリシャ語は、エピオウシオス ἐπιούσιος「必要とされる、不可欠な」といいう意味が含まれます。
「日ごとの糧」とはパンやご飯だけではなく、毎日の必要のことだと考えてみましょう。
日常生活の必要を祈っていいのです。
心配するまえに、祈ったらいいのです。
あなたにとって日常の不可欠なことは?
食事はもちろんですが、そのためのお金や仕事や健康や、人間関係や色々な日ごとの必要や問題の全てを祈っていいと勧められているのです。人によってそれは違います。違っていいのです。パンがあり余っているのにパンを求めません。満ち足りているのに日ごとの糧を求めないでしょう。
毎日のそれぞれの必要を、その日ごとに祈るのです。
なぜなら、私たちの父なる神は、「私たちが何を必要としているかをご存知な方」だからです。
だから、彼ら(異邦人)のまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。マタイ6:8
私たちの必要なものを良く知っていてくださる神様に祈るのですから、短く素直に、端的に必要をお願いすれば、いいのです。なんども繰り返す必要はないということです。
同じ言葉をただ繰り返す祈り、お題目な祈りは必要ありません。とにかく長ければ、言葉数の多さで聞かれると思いがちです。百回祈れば、いや、千回の方がもっと聞かれる?一万回なら?など、回数ではないのです。
一回お願いすれば、もうわかって下さる神様ですから、祈りが聞かれたかどうかなど、心配無用です。一回で聞かれていると信頼することこそ、求められていることです。
「あなたがたに必要なもの」の「必要」のギリシャ語のケレイアχρείαは、「欠乏、困窮、極貧」それは「雇用、差し迫った必要や問題」の意味があります。私たちが一番お願いしたいことを、私たちの父なる神様は、ご存知です。私たちがお願いする先にです。
ただ、私たちがお願いするのを待っていてくださるのです。とってもありがたいですね!
「私の愛する天のお父さま、私の( )をきょうお与えください。」と祈っていきましょう。
きょうも良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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