離婚禁止の生き地獄!?
みことばを盾に、鎖に、足かせ、奴隷状態
あまりにも辛くて離婚を考えているのに、踏み出せない事情がそれぞれあります。経済的な問題、子供のこと、それに加えて、聖書のことばに縛られ、辛い生活を強いられている場合もあるようです。「クリスチャンのくせに」「聖書は離婚を禁じているんだろう」など昔も今も変わらない問題が続いているのです。
離婚に関する聖書の言葉は?
イエス・キリスト時代に、この難題をパリサイ人がふっかけている聖書の箇所があります。パリサイ人とは、律法の解釈を学ぶというユダヤ教の宗派の1つで、「分離した者」という意味です。自分たちは律法を厳格に守っているから、一般人とは違うと自認し、「律法を守らぬ庶民と自らを分離する」というパリサイ派の集団でした。
すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。マルコ10:2
パリサイ人たちは、律法を「厳格に守っている」という体面を保ちつつ、自分たちがうまいこと離婚するにはどうしたものか?つまり、神のみ言葉に素直に従うというよりは、「解釈し直す」ことで、自分たちの都合、事情に合わせて、妻を離別することを正当化しようとしていたのです。「律法を守っているようにみせかけ、かつ、キレイに別れる方法」がなかなか見つからず、どんな理由なら「妻を離別できるか?」と議論していたのです。
ですから、長年の難題で「イエスを試そう」としたのです。真面目な議論ではなく、あるいは、悩みを抱えて相談しに来た夫婦への答えでもないのです。イエスが神であるならスッキリする答えを出せるはずだと、試したのです。
イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。マルコ10:3〜5
独りよがりの解釈
モーセがイスラエル人に与えた律法の申命記24:1〜4の一部で、自分たちの都合の良いところだけを切り取っています。パリサイ人たちが重要と考えている深層心理を、彼らの答えから理解できます。神がこの律法を与えた理由と、彼らの解釈の違いが浮き彫りにされています。「男は離婚状を書けば離婚は許される」と解釈していました。神が与えた申命記のこの律法の目的は、軽はずみな離婚を避けるため、そして、再婚夫婦の平和を守るためでした。
問題の本質
女性の権利が認められていない時代に、律法は女性を守るためにあったのです。すなわち、「気に入らない妻を捨てる権利」があると考える男中心の社会でしたから、パリサイ人もそれを当然と考えていたのです。「心が固い」スクレーロカルディアσκληροκαρδία「心が強情、頑固、こわばっている、折れようとしない心」です。「妻の離別」だけをひたすら考え、一向に神の心に合わせようとしない、男の心が問題だとイエスは指摘したのです。
「神が結びあわせた妻を一生愛していこうという努力」も無く、離婚状には、「料理が下手だから」「料理を焦がしたから」「外で男と話したから」など、しょうもない理由が書かれ、妻を離別することが正当化していたのです。つまり、妻の権利を全く認めない「夫から妻への一方的な離婚状」、「気に入らない妻を捨てる権利」を当然とし、男にとって都合の悪い神の律法をどう「解釈し直す」かを議論していたのです。
結婚の大前提
しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、神が結び合わせたものを、人は引き離してはなりません。」マルコ10:6〜9
結婚は神から出たもの、精神的にも、経済的にも独立した男と女がするもの、夫婦は神を中心に霊魂体が1つとなるもの、神が二人を結びあわせたのであって、第三者は入り込めないものです。そして、結婚は祝福です。双方の努力が必要なのです。結婚した相手と特別な一体関係を努力して築いていくことが、とっても大事なのです。
あれこれ離婚理由を考えることではなく、解釈をひねり出すことではなく、大切なのは創造主のみ言葉に従い相手を大事に愛を貫くことです。ですから、イエス・キリストは、パリサイ人たちの身勝手さを責めました。「妻ひとりさえ愛せない情けなさ」「家族を路頭に迷わす身勝手さ」をいさめているのです。「捨てられたくなかったら、言うことを聞け!」とDV、パワハラ、セクハラがまかり通った当時の世相の中で、イエス・キリストの女性を守ろうとする答えは、革命的なものでした。
弟子たちも理解不能だった
家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯して いるのです。」マルコ10:10〜12
その時代に育ち生きて来たイエスの弟子たちも、イエスの言葉を全く理解できなかったのです。イエスは女性の権利を男性と同等だと引き上げました。「妻も夫を離別して」と、イエス・キリストは、妻も夫と同等の権利を持っていると言われたのです。わかりますか?当時あった離婚状は、夫からの一方的な妻への離縁状でした。妻からの離婚状は、なかった時代です。
弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」マタイ19:10 (マタイ19:3~12もご参照ください。)
弟子たちでさえ、この程度にしか結婚を考えていませんでした。「男社会」「男の特権」の問題がいかに深刻なものであったかが、わかります。妻も夫も同じ権利を持ち、同等であることを受け入れることで、一方的な離婚はなくなり、同時に、パワハラ、セクハラからも解放されるはずですが、問題はそう簡単でないのも現実です。
「外野」は、「引き離す」権利なし
夫婦を邪魔している「外野」とは、良いものでも悪いものでも、夫婦の間に入り込み引き離すものの全てです。親、こども、異性、同性の友達、仕事、教会、教会の奉仕、エコ活動、趣味、酒、ギャンブル、ドラッグなど、夫婦が互いに信頼し合い、依存し合うことを妨げるもの全てです。パリサイ人たちも、教職者たちも、もちろん「外野」です。
問題を乗り越えた「美談」を例に挙げ、現実には辛い心の状態で耐える限界にある人に、「赦し合いなさい!」の聖句を振りかざして、「我慢しなさい」「赦しなさい」を単に強要しているだけの教会や聖職者が、信者さんたちを苦しめ、精神破壊をもたらし、自死に至らせることが起こっているのです。そういった問題を抱える方々が、教会を離れざるをえないのは、自分を守るためでもあるです。それはあってはならない悲しい事態です。周りの人は、あたたかく寄り添い、祈りに徹しましょう!
夫婦でないとわからない事情
あんなに立派なご主人が、あんなに仲の良いご夫婦が、「外野」にはわからない諸事情があるのです。外ヅラは良くても、DV(虐待、暴力、言葉による暴力)、ネグレクト(無視)、仕事をしない、仕事漬けのワーカーフォリック、金銭感覚なし、経済観念無し、親から乳離れできていない、AC(アダルトチルドレン)、ASDなどの障害、誰にも優しい節操のなさ、不倫、自己中などなど、結婚しなければ出てこなかった問題が、噴出するものです。
そこからが本格的な愛の実践の開始となりますが、双方の歩み寄りと努力で乗り越えられる問題もあれば、どう努力しても乗り越えられない場合もあることを受け止めなければなりません。耐えるだけでは解決できないですし、耐えるのにも限界があります。自分だけの問題ではなく、相手の意志もからんでおり、相手を変えることなど誰にもできないからです。
なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか?また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか? Iコリント7:16まして、相手を変えることなど、残念ながらできないのです。時には相手の親まで登場してきたり、問題はこじれにこじれてしまい、内面のダメージの深さや辛さは、当人でなければわからないのです。その辛さを十分に理解してくださっている方がイエスです。あなただけが一人で抱えなくても良いのです。
みことばが足かせを砕く!
みことばを正しく理解していないと、聖書を読むのが苦しくなります。イエス・キリストは私たちに「自由と解放」を約束し与えてくださったのです。離婚の理由は、「不貞、不倫」などだけではなく、当時なかった今日的問題や事情が実は、書ききれないほどあり、複雑に絡み合っているのも事実です。「別れる」などと簡単に考えないでください。あなたがクリスチャンであるなら、父なる神様に祈り、解決方法を求め、相手を愛する愛をいただきましょう。
問題を乗り越えられるなら、その方がはるかに祝福となると思います。それには忍耐が必要であり、自分の心を曲げていかなければならないこともあるでしょう。しかし、どうしても、乗り越えられない問題や事情もあります。心につけられた深い傷は、周りの人は理解できませんが、神様は十分にわかってくださっています。
神のみこころは?
「信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしていあなた方を召されたのです。」Iコリント7:15
離婚を軽く考えないでください。しかし、もし、どうにも耐えられない状況にあるならば、その方々のために、パウロはこの見解を述べているのだと思います。どう努力しても問題を取り除けない、どう努力しても修復不能で、乗り越えられそうにない。体や心が危険な状態にあり、心の「平和」が奪われたままであるなら、「縛られることはないのです。」
しかし、人それぞれで事情が色々違います。お子さんがいるなら、子供たちが傷つくのを避けることはできないでしょう。あるいは、経済的な事情が許さないかもしれません。イエスの時代に離婚された妻たちは、経済的には大変厳しい状態にありました。実家に戻るか、身を売るかの厳しい状況であったようです。色々な具体的なことを一つ一つ祈りながら、平安を得られる道を求めて祈りましょう!今日もウェブチャへようこそ!
現在結婚生活において辛い深刻な悩みを抱えておられる方々のためにお祈りいたします。心に真の「平和」が戻りますようにお祈りいたます。今までのあなたの苦しみの祈りと叫び、そして涙を、父なる神様は全部覚えてくださっています。
もし、耐える限界間近まで来ている方がいらっしゃるなら、心が死んでしまいませんように、それ以上無理されませんように祈ります。
今日も、イエス様の愛・喜び・平安をいただいて良い1日をお過ごし下さい。
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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