墓からのよみがえりではありません。キリストをゾンビにしないでください。イエス・キリストが十字架で息を引き取られた後、イエス・キリストの霊はハデスに送られたと聖書は伝えています。しかし、「捕らわれの霊魂たちのところ」とは、前回検討しましたように「アブラハムのふところ」ではありませんでした。では、どこなのでしょうか?「捕らわれの霊魂たち」とは、誰を指しているのでしょうか?ということで前回の続きです。
その霊魂において、キリストは捕らわれの霊魂たちのところに行って、みことばを語られ(ケールッソー)たのです。 昔、ノアの時代に、箱船が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊魂たちのことです。わずか八人の人々が、この箱船の中で、水を通って救われたのです。 Iペテロ3:19〜20「捕らわれの霊魂たち」とは、誰を指しているのでしょうか?
アブッソス、タルタローにいる悪霊ども?
3つ目の場:アブッソス、タルタローにいる悪霊どもと考えたらどうでしょうか?「捕らわれの霊魂たち」とは、「獄中の霊魂たち」ということで悪霊ども、堕天使どものことのようですから、こちらから2つ目の場所より先に検討してみます。
「霊」というと日本語では幽霊も霊で、悪霊も、聖霊も、天使も霊であって区別がないのです。悪霊はギリシャ語でダイモニーゾマイ(δαιμονίζομαι)(マタイ9:32〜34)やダイモニオン(δαιμόνιον)ダイモーン(δαίμων)などという言葉が使われている場合は、悪霊のことだと確実にわかります。
しかし、ここで使われているギリシャ語はプネウマ(πνεῦμα)「霊、霊魂」で日本語と同じように、人の霊魂でも、悪霊も堕天使も、天使も聖霊にも使われるのです。悪霊と言う時は、文章の前後関係や修飾語で区別しなければなりません。「悪」「汚れた」「悪い」「惑わす」などと合わせて「霊」プネウマが使われてると、「悪霊」「汚れた霊」「悪い霊」「惑わす霊」などとなって悪霊とわかります。
ここでの「捕らわれの霊魂」は「悪霊」でしょうか?タルタローあるいはアブッソスの捕らわれの霊でしょうか?可能性がありそうです。実際多くの堕天使、悪霊どもが、ノアの大洪水時にタルタローに閉じ込められたからです。
神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、タルタロー (ταρταρόω)「最も深い深淵」に引き渡し、さばきの時まで暗黒の鎖で牢に閉じ込めてしまわれました。 また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。 IIペテロ2:4〜5しかし、悪霊には合わない描写があります。「従わなかった」霊魂たち、つまり「従えるの」に「従わなかった」霊魂という意味です。ところが悪霊とは、元から「従わない霊」なのです。元からというのは、「サタンに従うと決めた時点」からで、神に「従わない霊」が悪霊です。神が忍耐して待てば、「善になったり」「従うようになる」可能性は全くないのです。すでに自らの意志で悪を選んで、サタンに従っている霊が悪霊、堕天使です。
また、サタン、堕天使、悪霊どもには、悔い改めのチャンスは与えられていません。彼らは、神の栄光を見て神を知っていながら、サタンは神に反逆し、3分の1の堕天使らはサタンにつき従うことを選び永遠を決めてしまった存在です。ですから、神は彼らを「容赦しない」のです。
「昔、ノアの時代に、箱船が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊魂たち」が、もし悪霊だとすると、神は悪霊どもの改心を待っていたことになります。しかし、彼らの行き先はすでにゲヘナと決定していますので、悪霊どものことではありません。
さらに、おかしい点は次のことです。イエス・キリストが復活までの間、ハデスにいたとペテロも言っています。それは預言者でもあったダビデも「キリストはハデスに捨て置かれない」預言したことに基づいています。
それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。使徒2:31〜32それなのにタルタローに置かれたというのでしょうか?タルタローは悪霊や堕天使が閉じ込められる場所です。イエス・キリストは人にはなりましたが、悪霊にはなりませんし、なったこともありませんし、なる必要もないのです。イエス・キリストが十字架にかかり、サタンのかしらを踏み砕いたことは、すでに霊界に知れ渡っている事実なのです。それはサタンと悪霊どもの最期はゲヘナだということを、霊界で知られているのと同じです。
「従わない霊魂」とは悪霊ですが、結果的に「従わなかった霊魂たち」とは悪霊ではないことになります。イエスは、タルタローに遣わされたのではないのです。
イエス・キリストは人として十字架にかけられ、人類の身代わりとなり、人として身代わりに全人類の刑罰を受けて死に、その霊魂を父のみ手にゆだねられたのです。十字架の直後イエスの霊魂が遣わされた場所は、罪人の霊魂が行く場所ハデスだったと考えるのが筋が通っているようです。それは、救い主として全うしなければならない使命と合致していると思いますが、どうでしょう?
ハデスで苦しむ死んだ人間の霊魂のもとへいった
2つ目の場:ハデスで苦しむ死んだ人間の霊魂のもとへいったのかどうかを検討してみましょう。死んだ人間の霊魂もプネウマ(πνεῦμα)です。私たちの内にあってイエス・キリストに信頼することによって生かされた私たちの霊もプネウマです。箱船が造られていた間、神様は忍耐しておられたのは、その当時生きていた人々が改心することでした。神は当時の人々が従うように忍耐して待っておられたのです。しかし、神の心を理解したのはノアの家族8人だけでした。8人以外は神に従わなかったのです。
ノアを通して伝えられた警告に従わなかった人々は、大洪水の濁流に飲み込まれてしまいました。死んで「従わなかった霊魂」として、ハデスの獄に捕らわれの霊魂となっていると考えると、一番納得がいきそうです。
全人類の罪を担い身代わりとして十字架にかけられたイエス・キリストは、過去・現在・未来のすべての人々の罪の刑罰を受けたのです。イエスの十字架の前にハデスに行ってしまった人々のために、その事実を知らない彼らににどうしても伝えなければならなかったのではないでしょうか!
前回書いた確認事項に戻りましょう。死後の世界をイエス・キリストが明らかにしてくださるまで、死後の世界シェオールは地の下にあると漠然と考えられていました。イエス・キリストは人が行く死後の世界を「アブラハムのふところ」と「ハデス」とに明確に分けて教えてくれました。両者はクァスマχάσμα「大きな淵、隔たり、溝、割れ目、空間」によって隔てられている全く別の世界である事も明らかにされました。
また、悪霊どもは、イエス・キリストに出会うと「アブッソス(底知なしの深い穴)に行け、とはお命じになりませんように」と願いました。彼らは、仲間がノアの洪水時にタルタロー「最も深い深淵」に閉じ込められたことを知っていたからです。そして、彼らの最期も知っていたのです。そこは、ハデスとは全く別の世界です。
ダビデが預言し、ペテロが最初の説教で「イエス・キリストがハデスからよみがえらされた!」と伝え、12使徒たちはそのことの証人ですと宣言したのです。そして、パウロもイエスは「死者たち」の中から復活されたと何度も書いています。「死者たち」とはお墓ではなく、「ハデス」の同義語として使われているのです。日本語は「死者」と単数と複数の違いがわかりませんが、私の調べた限りは、ほとんどは複数形であり、「死者たち」と訳すべきです。それは「ハデス」からということなのです。
それは初代教会における当たり前の了解事項でした。やがて使徒信条として、イエス・キリストは「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり」と、成文化しました。彼らはイエスは、死人たちが行っているハデスから復活したとしっかりと受け止めていたのですが、英語においては「陰府(よみ)」が「Hell」と訳されてしまったのです。イエス・キリストは地獄にもHellにも行ってはいません。行ったのはハデスです。聖書に明確に書かれたことをすり替えるのは決してしてはならぬことです。
イエス・キリストが明確に死後の世界を分けられたのにもかかわらず、「シェオール」も「ハデス」も「タルタロー」も、そして、「ゲヘナ」も「Hell」と一色単に訳してしまったために、起こった混乱です。また、それを「人が死ぬと地獄だ!」と、まだ誰もゲヘナへは行っていないはずですが、そう教えたり、福音として伝道してきました。それは決して福音(良い知らせ)ではありません。イエス・キリストが明示したことに反する間違った教えを受け入れ、間違いを土台として築き上げた間違った教理のために未だに混乱しているように思えます。
それはイエス・キリストが成し遂げた受肉から昇天までの人としての歩みの中の、十字架から復活までの重要な期間を、取り除いてしまっているのと同じ重大な問題です。しかし、イエスが父なる神によって罪人が苦しむハデスに遣わされた意味を教えられ、私は今、感謝でいっぱいです。そしてイエス・キリストがハデスからよみがえらされたことを心から感謝し賛美し、お祝いしたいと思います。
ウェブチャを訪れてくださりありがとうございます!
イエス・キリストの霊魂をハデスに送られた父なる神に感謝します。父に霊魂を委ねハデスに行ってくださったイエス様に感謝します!ハデスにおいて「聖なる方」と父なる神に認められた上で、ハデスからよみがえらされたイエス様に感謝します!感謝と賛美を三位一体の神に捧げます。
ところでハデスでイエス・キリストは何をされたのでしょうか?ハデスにいた霊魂たちの反応はどうだったのでしょうか?
父なる神とアナスタシス(復活)のイエス・キリストと聖霊なる神様の祝福を祈ります!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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