苦難における不安と恐れに潰されそうになってるのに、悪人がうるおい楽をして、長生きしているようなことさえ見受けられます。正しい人が必ずしも幸せとは限りません。生を得たからには死は平等に訪れますが、早死にする人があれば、長寿の人もあり、やはりどこかでつじつまが合わないとおかしいと思ってしまいます。死で終わりではなく死後の世界が続きます。
人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。
墓を見ないであろうか。 彼は見る。知恵のある者たちが死に、愚か者もまぬけ者もひとしく滅び、自分の財産を他人に残すのを。 彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、自分たちの土地に、自分たちの名をつける。 詩篇49:7〜11どんなに頑張っても、
どんなに知恵があっても、優秀でも、遊び暮らせるほどの財産を持っていたとしても、永遠に生きたいと思っても、やがて死に、一般的にはせいぜい立派な墓石に名を刻むぐらいのものです。土地に自分の名をつけたとしても、名前は残っても本人はそのうち忘れ去られてします。生きている人とは関係なく、死後も世界が続いていると聖書は伝えています。
しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい。 これが愚か者どもの道、彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者どもの道である。彼らは羊のように、よみ(シェオール)に定められ、死が彼らの羊飼いとなる。朝は、直ぐな者が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、彼らの住まいからよみ(シェオール)に落ちる。旧約聖書では、死後世界をシェオール(שׁאול)という世界があり住むことになると言うのです。私たちの霊魂がたとえシェオール(よみ)に落ち込んだとしても、「神がそこから買い戻してくださる」と神への信頼が書かれています。49篇でそう歌っているのは、コラの子供たちです。親たちが神とモーセに逆らったため、地が割れ落ち込み生き埋めとなったその光景を子供たちは目の当たり見ていたのです。子供達の心情を思い計ると複雑な気持ちです。
しかし神は私のたましいをよみ(シェオール)の手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。 詩篇49:12〜15
レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モーセに立ち向かった。民数記16:1〜2コラたちは幕屋の中でも、契約の箱、机、香壇などを運んだりと重要な役割があてがわれていました。しかし、彼らは不満で、250人もの名のある者たちを巻き込んで、モーセに逆らったのです。その結果裁かれ、コラとダタンとアビラムと彼らに属する者たちは、幼子以外はみな、生きたまま地に飲み込まれ、シェオールに直行してしまったのです。
残りの250人は火で焼き尽くされました。陰府の穴(シェオール)に親たちが生きたまま落ち込んだ様子を書いています。もちろん体は地面の下に、霊魂はシェオールに投げ込まれたのです。コラの子供達は一生忘れる事はできない光景として脳裏に焼き付けられていたと思います。
しかし、もし【主】がこれまでにないことを行われて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが【主】を侮ったことを知らなければならない。」 モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。 地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。 彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。 民数記16:30〜33その後、コラの子達とその子孫は、大人となり親たちの代わりに神に仕えていました。その中で神への信頼を徐々につちかい「しかし神は私のたましいをよみ(シェオール)の手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。 」と確信となった賛美を捧げているのです。
シェオールは、新約聖書においてギリシャ語のハイデース(ᾅδης)が当てられています。日本語では、ハデスで、救われていない者たちが一時的に行く死後の世界のことです。それに対してゲヘナは、当時「ゲイ ヒノム」(ヒノムの谷)はエルサレムの郊外にあったゴミの焼却場からの名前です。昼も夜もいろいろな物が燃えて煙を上げていた場所でした。そこから、ゲエンナ(γέεννα)永遠のさばきの火が燃えさかる場所として、意味を持たせて使っているのです。
ゲヘナ(最終的な永遠の苦しみの死後の世界)では救いも望みもありませんが、ハデス(救われていない者たちが一時的に行く死後の世界)である限り、神は買い戻すと約束してくださいました。買い戻すと言う事は、正統な代価を支払うと言うことを意味しています。シェオールの獄に入れられ、シェオールの支配下にあるから、そこからの解放をするとの約束です。どのようにでしょうか?
第1にイエス・キリストが十字架において、罪の償いをし、シェオールから「霊魂を買い戻す」ため「身代金を払をご自身の命で支払って」くださったのです。「代価を払う」とか「贖う」ともいいます。すでにイエス・キリストを通してその代価は支払われ、ハデスにいる者たちは買い戻されることが可能になりました。これはすごいことです。ハデスで苦しんでいる者たちの解放が実現したのです。
しかし、誰でも解放されるわけではありません。リンカーンが南北戦争で勝利し、奴隷たちは解放されることになりましたが、奴隷どもには知らせないと雇用主は、事実を隠しました。事実を知らない奴隷たちはそのまま支配されこき使われていたのです。
次に大事なのは、誰がハデスにいる霊魂たちにこの福音を伝えるかです。贖いは完成していますが、この良い知らせを伝えることがとっても重要になります。ハデスも燃える火の苦しみと渇きの場ですから、そこに居続けることはとっても苦しく辛いのです。行った者たちは誰もが解放を願っていることでしょう。
今日もウェブチャへようこそ!
ハデスからの買い戻しとは、とっても大きなテーマです。コラの子供たちにとっては、ハデスにいるとわかっている親や親族のことが頭にあったことでしょう。私たちの親族友人知人、あるいは先祖が今ハデスで苦しんでいるとしたら、なんとしても「霊魂の買い戻し」を願いたいですね!生きているなら、イエス・キリストに信頼してハデスに行かなくてすむようにと願います。
ハデスに行っている霊魂に関して聖書は何か解決を与えてくださるのでしょうか?
良い一日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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